山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

おそれはおそれとして。

いろいろ迷ったのですが、正直に書くことにしました。

今は、京都におります。今朝ほど、新幹線に乗ってやってきました。

予定していた仕事が次々とキャンセルになり、都内にいないといけない必然性がなくなりました。

うちは停電もしない地域なので、あまり困ることもなかったのですが、高齢の母がおりまして、地震発生時に都内で迷子になったり、心配なので、心配しているより、余裕のあるうちに、出かけようと決めた次第です。

東浩紀さんが、いち早く静岡に疎開され、疎開されたことをツイッター上で揶揄されるのを見て、揺らぎました。

まるで「逃げてる」みたいだし。いや、逃げてるわけですが。

けれども、都内にいたからといって、なにかの役に立っているのかといえば、何の役にも立っていない。節電はしてましたが、それでも電力は消費するし、買占めはしてませんが、それでも、食料を消費しています。

それと、内田樹さんのブログにも、西へ疎開できるひとは早めにしたらどうでしょう…とありまして、決めた次第です。

まあ、なんて他力本願な、ひとのせいにして…という批判もあるかもしれません。

そうです、とても揺らぎました。

さとなおさんが、ボランティアで東北に向かっているのを知り、なんて立派なのだろうと思いました。

それに比べて自分は…。

正直、ずっといや~な気持ちに支配されていました。やっぱり、「逃げた」感、「自分だけ助かろうとした」感があって、そういう罪悪感に押しつぶされそうになるのでした。

京都には東京から疎開してきたひとが結構います。同じホテルのロビーで、東京から来たひとたちで、「どこから来ました?」とか「これからどーします?」って会話がなされています。

みなさん、一様に、不安そうです。安心していいはずなのに。

タクシーに乗ると、「さっきも東京から来たひとを乗せましたよ」(京都弁で)って言われます。

京都は雪が降っていて、とても美しく、静かです。自分がいるのは市内ではなく、ちょっとはずれなので、寒いけど、なおさら、静かで、雪景色が美しいです。

暖かく守られた場所で、豊かな食事をしていると、安心していいはずなのに、気持ちはちっとも安らぎません。申し訳なさが募ってきます。

けれども、今、少し、気持ちが落ち着いたので、これを書いています。

なぜ、落ち着いたかといえば、ひとつは、(これもツイッターネタで恐縮ですが)、東さんというひとのツイートを読んでいたら、「なんと正直なひとであろう。自分のおそれをおそれとして認め、飾らずに語るひとであろう」と思ったからです。

5歳の娘が心配で静岡に疎開し、その地で地震にあって、不安になり、それでも、ニューヨークタイムズに原稿を書いたり、ツイッターで揶揄されても、正直に自分の行動を説明し続ける。

数日後には都内に戻って、その後、海外に行かれるようですが、そういう予定を書いている。書かなくてもすむはずなのに。

誰にもどこにいるかなんて、わからないし、しれっとしていることもできたはず。

正直に語ることは、「あの時、逃げたくせに」という烙印を押される可能性もあるのですが、そのリスクを背負って、正直であることに感じ入りました。

おそれをおそれとして認め、自分の弱さを隠さないこと。

なので、自分もちゃんと正直に書こうと思いました。心配していることに疲れて、東京を離れたこと。でも、こっちに来てもちっとも気持ちは晴れないこと。

それから、いくぶん、気持ちが落ち着いたのは、都内に戻ったら、自分がやるべきことを決めたからです。といっても、小さなことでありますが。

おのれの不安を解消するために、なにかする…というのは、間違っている…と言われてしまえばそれまでです。

それまでですが、できるだけ、自己満足ではなく、客観的に役立つことを知恵を絞ってやりたいと思います。

できれば、自分もゆるぎない、立派な言葉を書きたかったです。ひとを安心させ、励まし、希望を見出せるような言葉。

そういう言葉をかけるひとになりたいです。

でも、なれないです。だって、本当の自分はちっともそうじゃないからです。

ゆらゆらしっぱなしだからです。

でも、こういう弱さもあるってことを伝えてもいいのではないかと思って、書きました。