山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

物語の力を信じて。

京都疎開3日目。

今日から、ポール・オースターの「オラクルナイト」を読んでいます。

こんな誰も予想できなかった大災害が起こってしまったら、フィクションの力なんて、吹き飛んでしまうのではないか…と思ったりもしましたが、いえいえ、そんなことはなかったです。

震災前と変わらず、いや、震災前より熱心に文字を追いかけました。

書かれている内容は、ちがう国の(アメリカの)、ちがう都市の(ニューヨークの)、ちがう時代の(1980年代)のお話ですから、震災とはまったくかかわりがなく、震災の被害や、原子力の脅威とは無縁に話は進むのですが、ゆるぎなき魅力を持って、読むもの(=わたし)に迫ってきます。

(まだ、読みはじめだから、全貌はつかめてないので、初見ですが…)。

大きな事件が起こると、それによって、芸術全般は影響を受けます。受けると思います。けれども、それは、多くのひとの漠然とした考え方に影響がでるからで…なんというのでしょう、世界観というか、世間というか、漠然とした集合知みたいなものが影響を受けるような気はします。

たとえば、原子力発電所をこれから続けていくのは以前より困難になるでしょうし、一方で、自衛隊や米軍に対しては、目線が優しくなるのではないでしょうか。これは、ツイッターを見ていて漠然と感じたことです。

公共広告機構(AC)のCMに不快感を持つひとがいたり、「不謹慎」という言葉を使って非難するひとがいたり…これらは、確実に『空気」としてあると思います。

でも、それって、たくさんのひとが漠然と感じることであって、そのことと個々の作品とは別の問題のような気がしました。

というのは、芸術とは世論じゃないからです。テレビ番組の一部、小説の一部、映画の一部は限りなく、世論に迎合しがちですけれども、それはいつの時代も同じだし、大きな事件がなくても、そういうもんだと思います。

けど、一方で、世論とはちがうものを出していくこと…ちがうものを創造することは、大きな事件があってもなくても、同じなんじゃないか…とふと思ったんです。

エジプトで革命が起きたから…大震災が起きたから…原発が事故を起こしたから…ということだけで、描くものが変わっちゃうとしたら、なんだかうすっぺらいと思いました。

それは作品ではなくて、感想文だからです。

とはいえ、自分が小説を書き始めたのは、1995年なんですね。95年といえば、1月に関西大震災があり、5月にはオウム真理教の事件があった劇的な年でした。

年明けからの大きな事件の連続に、自分は、なんだかわからないけど、「このままじゃだめだ」と思い、テレビの仕事をすべてキャンセルして、小説を書き始めました。出版のあても、発表の場もなんのあてもなかったんですが。

そういう意味で、大きな事件に影響は受けたのですが、かといって、書いたものが、「自然災害の脅威に立ち向かうひとびと」でも、「カルト宗教」にからむ物語でもなかったです。

テーマは全然関係なかった。

ある種の危機感が、なにかを作らせた…とは思いますが、テーマは実はその前から持っていたものだった。それを創作するきっかけがなかっただけだった。

…だから、今回も同じようなことを思いました。

この災害によって、作品の内容が変わってしまうなんて、ちがうだろう…と。もっとゆるぎないものであってほしいと。

それと、フィクションとノンフィクションについてもあらためて考えました。

以前、ここで書いたかと思いますが、先輩の映画監督、渋谷ノブコ(旅先のpcのため漢字表記ができなくてすみません)さんが

「フィクションもノンフィクションも作り方は同じ」

と言っていたことを最近リアルに感じられるようになりました。

なにかを描くときに、フィクションとして描いたほうがいいときもあるけど、ノンフィクションとして描いたほうがいいときもある…というとても単純なことのように思えました。

今回の震災をテーマにするとしても、フィクションでもノンフィクションでもアリですよね。手法は違うにしろ。けど、結局のところ、なにかを描こうとする姿勢は同じなんだなと思うわけです。

事実の積み重ねによって、テーマに迫るか、テーマを描くために、フィクションのシーンを重ねていくか…という手法の違いのみであると。

…そのようなことを考えつつ、読書を楽しんでいます。

やっぱり、東京を離れたせいで、気分が落ち着き、本を読むこともできるようになった気がします。いろんなことを冷静に考えることができるようになりました。

こういう選択ができた自分の幸運に感謝しつつ、(つまり、偶然、金銭的余裕、時間的余裕があったからできたことを感謝しないといけない…)、災害にあった方たちへの想像力を失わないでゆきたいと思うのでした。