京都疎開5日目。
今日までの日々を多少の写真で振り返ってみます。
17日朝、新幹線に乗って、京都に来ました。
途中、雪景色が美しかったことを覚えている。
でも、道中、とても不安でした。
比叡山を臨む円通寺、近くのホテルに入りました。
少し歩くと、上賀茂神社もある、京都のはずれです。
こういう場所のほうが、のんびりできると思ったからです。
それと、25年くらい前に、同志社高校のアメリカ人の先生のドキュメンタリーを作ったことがあって、(自分の初めてのディレクsションでした)、このあたりには親しみがあったのです。
その後も、ロケで京都には何度も来ていますが、初めて作ったテレビ番組で訪れたときの印象が鮮烈で、「とにかく、静かで緑にあふれていて、気持ちのいいところ」と強く感じていました。
だから、今回、避難のようなかたちで京都へ行くと決めたら、自然とこの地域のホテルに予約をいれておりました。
しかし、それも昨日まで。連休で宿泊代があがってしまったので(昨日、書きましたが)、市内のビジネスホテル系のところへ移動してきました。
移動してすぐ、いろいろトラブルがあったのですが、(詳細は昨日の日記で)、トラブルといっても、現在の日本にとっては、「ちゃんちゃらおかしい」レベルのトラブルですね。小さいことです。
しかし、市内に移動したら途端に、昨日までいた自然が懐かしく、駅近くのあわただしさに耐え切れず、夕方近くなってから、
「詩仙堂」へ行って来ました。
初めてでした。住みやすそうな、小さな庵。小さな…といっても、現代から見たら、広いですけれども。
こじんまりした庭にたたずみ、抹茶をいただきました。
連休中でしたが、夕方だったせいか、それほど、ひとはいなくて、ひっそり、静かでした。
庭のいたるところに、椿が、咲き誇っておりました。
…とても、ゆっくりした午後を過ごすことができました。すみません…。
夜、ホテルに戻ってテレビをつけると、被災地では、コンテナのなかで生活するひと、車で寝泊りするひとがいるそうで、胸を打たれました。
さらに、野菜や牛乳から放射能が検出された…というニュース。
もし、自分が苦労して作った番組や映画や小説から、「放射能が検出されたので、全部、廃棄してください。絶対、誰にも見せないでください」って言われたら、どうだろう。
けど、酪農家にとって、農家にとって、そういうことなんだろうと思いました。
一生懸命作ったのに、誰にも見せることなく、封印される作品があったとしたら…。
あなた、および、あなたのスタッフから放射能が検出されたので、以後、仕事をすることはできません、安全のために、解散してください…って言われたら?
そういうことですよね。ミルクや牛は、酪農家にとって、かけがえのないスタッフ、仕事仲間みたいなものですよね。
牛たちの未来も考えると、本当につらいことだと思いました。
やっぱり、報道は見ておかなくては。
気持ちだけでも共有しておきたい…と思いました。
のんびり、お茶が飲める日がみなさんに戻ってきますように。
牛が笑えますように。