日々、迷いながら暮らしておりますが、ツイッターでのいろんな意見を読むと励まされたり、傷ついたり。
自分は、かように迷いの多いものですので、かっこよく言い切ることが苦手であります。
そんなとき、思い出すのが、金子みすゞの詩だったりします。
今、ACのCMで再注目されているようですね。(こだまでしょうか、誰でも…という詩)
明治生まれの女性詩人です。その短い生涯で、独特の詩を書きました。
なかで、好きなのは…
「私と小鳥と鈴と」という詩です。最後は、「みんなちがって、みんないい」で終わっています。
小鳥は空を飛べる。
鈴は、きれいな音を鳴らせる。
私は空は飛べないし、音も鳴らせないけど、走ることができるし、唄を知っている。
だから、みんなちがって、みんないい…と結ぶんですね。
本当は、全文をここに書こうと思ったんですが、著作権の侵害になるのかもしれず、控えました。
ネットで検索するとすぐ読めますが…。
(金子みすゞの世界)
ところで、震災後のレスキューについてです。昨日、自分の迷いを書きましたが、それぞれの立場で、なにかされているひとはそれぞれ、立派だなと思います。
まさにみんなちがって、みんないい。
ジャーナリストの山路徹さんは、福島の原発から20キロ圏内に取り残された犬や猫を捕まえて、保健所などへ運ぶ活動をされているみたいです。
「焼け石に水かもしれない」と書かれていましたけど、今、救える命があるなら、救うことは、ちっとも焼け石に水じゃないと思う。批判もいろいろあるのでしょうけど、自分は立派だと思いました。
また、よく読んでいるちくわブログの著者も、ひとりで救援物資を届けに行ったそうです。今頃になって、それをアップしてました。
人柄のよくわかる、正直な日記です。
行く前の気持ち、写真を撮れない気持ち、でも、なにかしたいという気持ち。
すごくまっとうなんじゃないか。…こういうひともいるんだよね。
それから、富士丸の飼い主さんも独自に救援活動を始められたみたいです。
みなさん、立派だなと思いました。
そして、こういうとき必ず、批判されるのが、目立つ犬だけ救う…ことに対する反感。
崖に取り残された犬を番組で取材すると、「飼いたい」というひとがたくさん現れる。毎日、殺処分されている犬がいても、見向きもされないのに…。
それはそうだと思うけど、とりあえず、一頭でも生き延びることは悪いことじゃないと思うし、番組がきっかけで、なにかを始めるひとだっているはず。
メディアのいい面を自分は信じたいと思っている。
そうじゃなかったら、ひとがひとになにかを伝えようとすることが、全部、無駄じゃないか。
たとえ、誰も救えなかったとしても、「救えなかった」と伝えることに意味があると思う。
そうじゃなきゃ、歴史も文学も全部、無意味ってことになるよね。