山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ボランティア今昔

震災後、各地でボランティアが活動している。

かくいう、自分も一日だけ、福島に犬猫の世話に出かけた。

ツイッターでもボランティアにでかけた人の話は多いし、芸能人もいっているし、今でもたくさんのひとが働いている。

なんか、すごく変わったな…と思う。

自分が子供の頃は、ボランティアという概念さえ、あまりなかったんじゃないかな。

見ず知らずのひとを助けるために働くってことは、そんなに一般的じゃなかったはず。

その代わりに、村とか地元とか、親戚とかってネットワークがもっと強固で、村で困ったことがあれば、村中で助け合うとか、親戚が被災したら、助けに行くとか、そういうものだったのではないかと思う。

それはとてもいいことである一方で、なにをしてもすぐ村中に知れ渡るとか、なにかするのに親戚じゅうの暗黙の同意がいるとかってことがあって、面倒なことだったんだろう。

だから、みんな、そういう狭い社会を嫌って、個人で生きていける社会を望んだのだと思う。

その結果、無縁社会なんて言われてしまったけど、そうなったら、ちゃんと、ボランティアというものが自然発生的に生まれ、発達してきたのだと思う。

見ず知らずのひとでも、親戚でも友だちでもなく、地元でもなくても、困った時は助けよう、という考え方が広まったのだ。

なんだか、社会というか、人間というのは、案外よくできているように思う。

地縁や血縁がうすくなった分、それをカバーするものが生まれて来てるんだよね。

地縁や血縁もいいけれども、こういう、なんのゆかりもなくても、助ける、力になる…というのは、随分、レベルの高い、感情だと思う。

地縁や血縁だと、助けてもらったら、こっちも助ける、という狭い円のなかで循環している関係だけど、それをもっと広い範囲でとらえたのが、ボランティアだよね。

小さな村、町、家族…という集団ではなく、地球レベルで考える、国も人種も越えて、困った時は助ける…そういう考え方だ。

これはすごくいいと思うのだ。だから、ボランティアとして、たくさんのひとが、東北に出かけているのを見るとなんか、いいなーと思う。

(いえ、もちろん、現場はそんなこと言ってられないくらい、たいへんなのはわかっているんですが…)。

そこに希望を感じるのでした。

自分も、また犬猫救済に行きたいのですが、来週から、ロサンゼルスにロケハンに出かけるため、当分、行けそうにない。

困っている犬を助けたいよね。自分の犬じゃなくても。