山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ジェンダー・バイアス

自分は、ジェンダー・バイアスに割と敏感です。

ジェンダー・バイアスとは、男は仕事、女は家事…とか、男は地図が読めない、女は運転がうまい…(笑)とかって、性別によって、一方的な見方をする…偏見を持つことです。

このサイトの説明が詳しいので、もっと知りたい方はこちらへ。

なんで、そんな話を突然しているかというと、テレビドラマ、映画、小説など、エンターテイメントの世界では、このジェンダー・バイアスによって立つ作品が結構あるからなんですね。

よって立つ…というより、それを強めるようなものが多い。

例えば、母親は子供のためなら、どんなこともする…みたいなお話は、日本ではとても好まれるけど、これって、母親神話を強化することになってる。

子供のために、母親が殺人を犯した場合でも、「母だから」という理解のされ方をするのはとてもイヤだ。

それは、「母だから」ではなく、「その人だから」に戻っていかないといけないと思う。

同じようなテーマで、「浮気は男の甲斐性」みたいなものもある。誰かが浮気をしたときに、その理由を「男だからしかたない」と言ってしまうのは、ちがうだろうと思う。男だから浮気したのではなく、そのひとだからしたのだと…。

もちろん、こういう話は、他愛ないお茶のみ話としては楽しい。血液型占いに似ている。科学的根拠はなくても、「B型のひとってこうよね」とかって話すのは、楽しかったりもする。

だから、わからなくもない。

けれども、それを強化しちゃうような、それにのっかってしまうような作品は作りたくないなーって常々思っている。

でも、案外、多いんだよなー。そして、その方が、理解されやすくて、お客さんを集めやすい。よって、さらにそういうお話が増えていく…という循環があるような気がする。

この流れに棹を刺すのは、きびしいよね。ちいさな棹ならすぐ流されるから。

けど、そういうことに敏感な作品ももちろん、多い。アメリカのテレビドラマが好きなのは、ジェンダー・バイアスを逆手にとっているような作品が多いからだ。

今日、見た、「ボストン・リーガル」というドラマもそうだった。脚本と制作総指揮は、「アリー・マクビール」のデビット・E・ケリー。

この方、元・弁護士だけに、弁護士という職業に詳しいのももちろん、差別や偏見を上手にテーマに織り込んでいる。しかも、笑いを込めて。そのさじ加減が絶妙で、見ながら、悶絶してました。面白かった。

ボストンの弁護士事務所のお話です。

こういう作品が作れるようになりたいのでした。