昨日は、ネタばれしないように気をつけて書いたけど、それじゃあ、書いた気がしないので、ネタばれアリでやっぱり、がっつり感想を書こうと思います。
なので、これから見ようと思う方は、読まないでくださいませ。ここまでです!
以下、ネタばれありです。
昨日、「ブラックスワン」とはなんだったのかってことを投げかけたまま、書き終わりましたけど、どーもそういうのって気持ち悪くなって、ちゃんと説明してみたくなったのでした。
この映画は、主人公のニナの真の敵は誰なのかってことと、彼女はちゃんと、「白鳥の湖」のプリマ(バレエの主役)を踊ることができるのか…というふたつのサスペンスによって成り立っています。
彼女のまわりには、敵なのか、味方なのか、わからないひとだらけ。
まず、母親。元・バレリーナで、妊娠をきっかけにバレリーナのキャリアを諦めたという過去がある。娘の第一の理解者であり、彼女をもっとも応援している一方で、しばりすぎてもいる。そのせいで、たぶん、ニナはいまだバージンで、母の望む優等生でいるしかない。
協力的でありながら、支配的。二律背反のダブルバインドによって、ニナはストレス過多になっている。
次は、「白鳥の湖」の演出家。どうもニナは以前から彼に憧れていたようだ。こいつも味方か敵かよくわからない。ニナを誘惑しようとしているのか、真に演技のために彼女に近づくのかよくわからない。よくいる女好きのタイプなんだけど、無理矢理襲ったりはしない。
その次は、同じバレエダンサーのリリー。プリマの座を狙っているのか、ニナへの友情か、あるいは、レズビアン的欲望なのか、これもよくわからない。助けようとしているのか、奪おうとしているのか。
この三人が互いに、ニナを揺らし続ける。…と同時に、観客である私たちも揺れ続ける。いったい、誰が味方なんだ?
そして、プリマになったところで、それが最高の結末でもないことを、ウイノラ・ライダー演じる、大先輩のバレリーナ・ベスが示してみせる。ベスは演出家と関係を持っていて、プリマの座に君臨していたけど、年をとればあっという間に捨てられる。
これらのストレスフルな環境がいやというほど、描かれ、ニナはどんどん追い詰められる。脚本でいえば、ツイストによるツイスト。
敵は、支配的な母親…と思っていたら、エロい演出家…と思っていたら、セクシーなバレエダンサーと、次々とミスリードがある。
それも、どこまでは事実で、どこからが彼女の妄想なのかわからず、緻密なサイコ・サスペンスとなっている。このへんの手法はうまいよね。
しかし、最後になって、ニナを苦しめていたのは、母親でも演出家でもダンサーでもなく、自分自身であることがわかる。
自分の敵は自分…というアーティストらしい、結末だ。
そう思って、演出家の言葉を思い出すと、ちょと合点がいった。彼は、ニナにキスしたり、体に触れたりする一方で、決して一線を越えない。そして、言うんだ。「自分で自分に触れてみろ」と…。
その時は、エロいこという教師だなーと思ったけど、ここに真実ありじゃないか。だって、この演出家、ニナと関係をもってしまおうと思えばいつだってできたはずだ。
だからの彼の本当の目的がエロじゃないことがわかる。単なるエロだけの演出家もいるかもしれないけど(いっぱいいるけど…w)、そんなものより、舞台の成功のほうが大事なわけだ。
ライバルのリリーもそう。母親もそうだ。みんな、異常に敏感になっていた、ニナが過剰に反応した結果だ。誰も彼女からなにかを奪おうなんて思ってなかった。
こういったアーティストの内面に起こりがちな出来事をちょっと演出過多に作っている。まともにやると、地味な芸術モノになってしまうからでしょうか。
芸術家の内面なんて、多くのひとは興味ないでしょ。だから、サイコサスペンス風にしたんだと思う。それが成功して、バレエがどうなろうとどーでもいいじゃん!と思うひとの気持ちもそそるように作ってあるのだ。
エロ、サスペンス、友だちの裏切り。わかりやすいテーマを次々と被せることで観客をひっぱる。
結果、多くのひとの関心をつかむことができた。
この作品のせつないところは、そんなにまでして、自分の内面とぶつかって、闘って、それを上回る努力をしないと、芸術の神は彼女に微笑んでくれない…という事実をつきつけるところだ。
そして、そんな命がけの振る舞いもいつか簡単に失われることを、先輩のバレリーナ・ベスがボロボロになって示している。
これほど努力して、これほど苦しんで、それでも、輝きは一瞬だけです。それでも、このバレエに賭けるのか?と聞いているような気がする。
でも、作品は同時にこう答えているような気がする。
それでも、アーティストなら、一瞬の輝きのために、命をかけるのだ…と。
この切ない決意が伝わってくるところがなんとも良かった。ホントに、なんもいいことないんだよ。輝きはほんの一瞬。
ダーレン・アロノフスキー監督の前作「レスラー」にも同じ匂いがあった。
一瞬の輝きにすべてをかけるひと……やっぱりかっこいいと思う。
そんな危険な道は歩きたくない…というひとは、家に帰って、車でも洗ったらどうだろう…みたいなことを、かつてスティーブン・キングが言ってました。
と、大作家に責任転嫁して、終わり。
あーさっぱりした。気持ちがかけて。
わかりやすい作品にしようと思ったら、演出家と関係をもって捨てられる、とか、ライバルが意地悪をしかけてくる…とか、いくらでもそういう手はあったと思う。いわゆるベタな展開。でも、それをやってないんだよね。すべては彼女の心のなか。
そこが良かった。