ゆえあって、映画「ゴッドファーザー」をパート1から3まで、続けてみました。
相変わらず、傑作なんですけど、ひとつ気づいたことがありました。
パート1が175分、パート2は200分、3は、162分です。
最近の映画に比べると、べらぼうに長い。3はともかくとして、1と2をたすと375分、6時間15分です。
今、普通のテレビドラマは、1本50分くらいですから、だいたい7~8本分になるわけですね。パート3を入れたら、10本以上になる。
最近はこのように長い映画は少なくなってる。「愛のむきだし」(237分)とか「ヘブンズ・ストーリー」(278分)などもありますが、これらは例外的で、ほとんどは2時間以内です。
そうじゃないと、劇場でうまくまわっていかない…などの事情もあるようです。
けど、2時間じゃ描けないものはたくさんある。「ゴッド・ファーザー」だってあの時間があるからこそ、重層的なドラマを展開することができるわけですよね。特にパート2などはそうです。
でも、現実に長い映画は存在しにくくなっている。
一方で、自分はよく海外の(主にアメリカの)テレビドラマをdvdにて見ます。最近だと、「breaking bad」とか「Lの世界」とかを楽しみました。
で、これらって、シリーズ化されていて、とても長いわけです。長いからこそ表現できるような気もする。大ヒットした「24H」だってシリーズ化されて、とても長い。
今って、なにかを切り取ろうとするとき、2時間で収めるのって、結構難しいのではないか…とふと思いました。
それより、時間を使える連続ドラマ形式のほうが、伝えやすいのではないか…など。
誤解されると一気に映画ファンを敵に回しそうですけど、「映画」の形式と、映画的であることはまた、別の問題なので、映像によって、ドラマを表現する…ってことが、目標であるなら、なにも、2時間にこだわる必要はないと思う。
それと、映画って映画館で見る、大きなスクリーンで見る、というのが、基本でしたが、今の技術からすると、映画館に行かなくても、ある程度の大きさのスクリーンで、映画を見ることは自宅でもできるようになった。
ちょっと前だとすごいお金持ちじゃないと、大きなスクリーン(モニター)をそなえた家に住むのは難しかったけど、大きな白い壁さえあれば、プロジェクターから、それなりの映像を映すことができる。
こういうふうに環境が整うと、映画「館」に行く必要がなくなる。実際、映画はネットでダウンロードして見られるようになっている。
すると、ますます、映画館ではなくて、自宅などで見るひとが増える。その時、「2時間」という映画館にあわせたサイズに従う必要がなくなる。
実際、自分は、テレビドラマのdvdを借りてきたときは、一気に、6時間分くらい見ます。時間と体力の許す限り見る。
まあ、そんなことをするひとは少数派かもしれないけど、見る人によって、見る時間を選べることになる。
体力がない、時間がない、ひとは、1日、30分ずつ見るってことだってアリだと思う。
すると、完成された作品の長さに規定を設ける必要がなくなるのではないか。もともと、中身のための時間ではなく、上映する側の意向によって決まっていた長さなのだから。
これはある意味、映画をもっと自由にするのではないだろうか。2時間というしばりから自由になる。1時間10分の作品も2時間10分の作品も自由に存在できる。
このことは、実は本も同じだったりする。単行本の小説も、書き手の思いではなく、印刷サイドの都合によって、枚数が決まっている部分がある。
もちろん、影響力を持っている大作家なら、何ページの小説でも出版できるだろうけれども、私レベルのものだと、「だいたい、これくらい」というページ数が決まっています。
それに合わせて、内容を切ったり、増やしたりします。本屋さんで棚をのぞいてもらうとわかるけど、だいたいページ数も本の厚さも同じようなものが多いんです。
これ、なにも書き手が自由に書いたら、偶然、みんな同じページ数になったわけではないです。1時間のテレビドラマがあるように、単行本の常識的ページ数ってものがあるんです。
でもこれもね、電子書籍になった途端、気にしなくていいルールになるのではないかしら。
映画は2時間、本は230~240ページみたいなものは、だんだん、意味なくなるんじゃないかな。
もちろん、そういうしばりが功を奏することもあるとは思うけど、2時間でまとめないといけないことなんてないんだってこと。
そんなことを、3時間近くあるゴッドファーザーを見ながら思ったのでした。今なら、これ、映画化不可能だったんじゃないかな…って思いながら。
その代わり、大河ドラマになって、ペイテレビで放送されたのではないかと。
映画は映画館で見るもので、2時間くらいじゃないなら、映画じゃない…と主張される映画好きのひとから批難されそうですけれどもね。
でも、映画も小説も、自由であることが一番大事。形式にこだわると中身がうすくなるよね。形式と心中したいひとがいるのも知っているけど、自分は自由でありたいと思いました。