山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ツリーオブライフ」

…ということで、今、話題の、「ツリー・オブ・ライフ」の感想です。

話題…といっても、いわゆる映画ファンのなかでの話題作かもしれません。

土曜日の深夜というか、早朝(3時25分の回)に、六本木で見ました。

観客7,8名といったところでしょうか、もう、貸しきり状態で、まんなかでゆったり、たっぷりと鑑賞できました。

でもって、感想は…。う~ん、ひとことで言うのは難しいですね。

もとより、あらすじを書いても意味のない内容ですし。

それでも、映画を紹介するサイトには、あらすじめいたものが書いてあったので、それによれば、父との確執のあった男が、少年時代を振り返り、父と和解する…みたいなことでした。

…というか、そういう物語なんだろうなーと認識して見に行ったわけです。

ブラピが父で、息子の現在をショーンペンが演じているってところまで知っていて、豪華な親子だけど、妙な親子でもある…と思っていたわけです。

けど、この前提を知らなかったら、なかなか理解しがたかったかもしれません。

説明の少ない作品ですから。映像詩に近い。

テキサスで子供時代をすごした、現在成功している男=ショーンペンが、子供時代を振り返るって構造なのかな、やっぱり。

でも、単なる回想とそれによって、現在に変化が現れる…というものでじゃなくて、子供時代+地球の歴史?生命の誕生?みたいなものがかなりの部分をしめております。

最初に、地球の歴史的?な部分が来たとき、「あ、インサート始まった」という感覚で見てましたけど、もはや、インサートという長さではない。これはこれで、立派にひとつの物語なんだ…と気づかされます。

そして、予習していた、「父と息子の確執とその和解の物語」という読み解きとは、ずいぶん、ちがうもんじゃないのか…と思い知らされます。

これはもう、父と子の確執というより、人間の親子…人間という種のたままたひとつの親とその子孫の営みが、地球(銀河系?)における命の営みのひとつに過ぎない…という読み解きに変わりました。

厳しい父、弟の不慮の死、夫婦不和、仕事の成功と失敗…そんなん、もう、地球規模で、もっと長い時間規模でみたら、小さいことじゃないか、…と言っているようにさえ見えます。

これまでだって、多くの命が誕生し、死に絶え、でも続き、よきことも悪きことも起こり…みたいな、非常に俯瞰したお話であります。

「大河の一滴」みたいな?

しかし、私は、見ている間に、ふと、松本人志の「しんぼる」を思い出したのでした。この「ツリーオブライフ」がカンヌグランプリなら、「しんぼる」だって、もうちょっと評価高くていいんじゃないかなーなんて、思って。

しかし、ショーン・ペンのかっこいいことよ。高価でシンプルな黒いジャケット姿とか、たいへんそそりますね。

もちろん、1950年代の「強い男・アメリカ」を演じたブラピもつやをすっかり消しきっていて、なりきっていました。あのブラピなのに、ちっともいい男に見えないですもん。つまらん、まっちょオヤジに見えました。

そういう意味で、ブラピってひとは偉大だよね。こういう作品をプロデュースして、なかで、しっかり、「いやなお父さん」を演じきってる。

これって、アメリカ反省ものなのかなー。50年代の、黄金時代って、実は、意味なく、『男らしさ」の病にかかったものたちの時代であった…という読み解き?

そんな父を今、許そうというショーン・ペンの役柄は、なにを象徴しているの?

「男らしさ」「父親らしさ」に縛られていたけど、家庭を存続させ、でも、仕事では成功できなかった父。

家庭はうまく営めなかったけど、仕事は成功してリッチになった自分との対比。

結局、どっちも同じだよ…ってことかなあ。

…こんな散文的なことを書いていると、「ストーリーで解釈するのがそもそも間違いですから」といわれそうです。

いーえ、ほっておいてね。

どんな解釈をしようと、それぞれの自由であるし、そのような深読みと勝手な解釈をこそ、この作品はきっと望んでいるのでしょうから。

…しかし、ブラピ演じるお父さん……冷静に考えると、この時代にあっては、「普通」だよね。それほど、激しい暴力をふるうわけでもないし、それがトラウマになるほどのもんじゃないような気がする。

極端に不幸な家庭というものではないと思う。

…とこのように、深読みは続きます。

あと、ちょっと、お母さん像が理想的過ぎるような…つめ甘いような…気がしないでもなかったです。

ただ、一番、感じたことは、映画って自由である…ということでした。

ほんとにね、好き勝手やってますよ。思いのままに。

自由でいいんだ…ってことについては、深く励まされます。

(ブラピとショーンペン使って、自由に作れるひとって、世界にはひとりか二人くらいしかいないんだろうけれどもね。

でも、銀河系からみれば、小さいことですよね…ということにしておこう)