ここのところ、映画の感想ばっかりで、なんか、自分、そういうカテゴリーの人みたいで、ちょっといやになってきたので、ちがうことを書いてみよう。
と言った舌の根も乾かぬうちだけど、きっかけは、アメリカのテレビドラマ「glee」のなかのワンシーンです。
「glee」は、高校のグリークラブ=合唱クラブのお話ですが、合唱クラブっていうと、みんなで並んで、「美しき青きドナウ」とか、クラシック名歌を歌うイメージだけど、それはアメリカ、歌って踊る、 エグザイルとAKBがごっちゃになって、ロックありソウルあり、ミュージカルありの、おしゃれなクラブです。
(ドラマのなかでは、アメフト部や、チアリーディング部に比べて、「ダサい」とされておりますが、ちっともダサくないです)
で、これをですね、DVDレンタルで、毎日見ているんですけど、コメディタッチのミュージカルドラマなんですけど、かなり批評性が強いんですよねー。
まず、このクラブのメンバーは、アジア系、アフリカ系、ユダヤ系が所属して、それぞれの人種に関するジョークやら言及が結構あります。
さらに、ゲイもいるし、車椅子の生徒もいて、「差別」問題をユーモアたっぷりに描きます。いや、差別問題そのものを描くことはなくて、ジョークのネタにしています。
ジョークのネタにすることで、見ているひとの心にすくう差別意識を刺激する…って感じでしょうか。
それはそれで、毎回、ヒヤッとしながら見ているんですけど、昨晩見た回に、これらとはちがった、批評性を見出したので書いておきます。
人種や障害については、自分は専門分野ではありませんが、これから書くことはちょっと専門っていうか、ずっと、関心を持ってフォローしてきたことです。
「彼氏のいない人生はさびしい…恋愛こそが一番大切なもの…なのか?」…っていうテーマです。
それはこんなワンシーン。
主人公のひとりの女子が、ライバル高校の男子と恋仲になります。いわゆる、ロミオとジュリエット状態です。
グリークラブをとるか、彼氏をとるか…って迷う女子に対して、とある教師が、彼女を呼び出します。
そこには、目ためのぱっとしない20代後半から中年の女性ばかりが集まっていました。
「彼氏のいない女たち」です。
彼女たちは、言います。
「金曜の夜は、猫とドラマを見るのが一番の楽しみ」
かつて彼氏もいたけど、女同士の友情や義理やしがらみで、手放してしまった。以来、彼氏ができない…。
など、口々に「彼氏のいない不幸せ」を語ります。
そこから見えてくるのは、「彼氏を作ることのできなかった」「結婚できなかった」女たちというのは、みじめでさびしく、醜い…というメッセージです。
この集団を見て、主人公の女子は、決意します。
「大事なのはクラブ活動じゃなくて、彼氏だわ」と…。
もちろん、コメディドラマだし、物語はそんなシビアではないんですが、この作り…うまいなーっていうか、批評性に富んでいるなあと思って。
つまりさー、映画やドラマや小説で繰り返し描かれてきたのは、「彼氏のいる幸せ」であり、「ひとりぼっちの女のみじめさ」であるということ。
それを繰り返し、刷り込むように描くことで、女子は幼いころから、「愛される」ことを目指す。
だって、愛されないと、惨めな末路が待っているんですもの。
醜く太り、金曜の夜を過ごす相手が猫だけになる…という脅し…。
カップル文化の強いアメリカではこの「脅し」はもっと有効でしょう。
自分などもすっかり、この「脅し」にはまって、恋愛こそすべて、愛する男のいない人生はゼロ…と信じて大人になりましたよー。なまじっか、ドラマや映画や小説にはまって大きくなったせいでね。
でもさ。
大人になってやっとわかったことは、恋愛がすべてではないし、「金曜の夜、猫とドラマを見るのが一番の楽しみ」であることはちっとも惨めなことじゃないってことです。
金曜の夜、レストランで彼氏と食事し、朝まで一緒に過ごすこともまた、楽しいことかもしれないけど、それが一番じゃないし、そんな日ばかりじゃなくていいってことです。
しかし、ドラマや映画には、「カップル=最高!」「ひとりは惨め」という、脅しが満ちている…ってことを、このgleeというドラマは、ばらしているんですね。
ここらへんが、すごい。
「ひとりは惨め」と伝える製作者側のやり口を、客観的に描いてみせる。
この視点にあっぱれです。日本のねーテレビや映画じゃ、なかなか、これはできないですよー。
しかし、最近は、作り手よりも受け手のほうが、進んでいますので、「恋愛に興味ない」若者が増えておりますね。
ドラマや感涙小説が、アイこそすべてと繰り返しても、「だから、なに?」って知らんぷりする女子も増えていることでありましょう。
エンタメの影響力不足を嘆く…べきかとも思いますが、いたずらに、カップルじゃなければ死を!みたいな刷り込みが無効になりつつあるのは良かったと思います。
もちろん、いつだって、なんらかの刷り込みはあるのでしょうけれども。刷り込みっていうか、教育…?文化とでも呼ぶのかもしれないけど。
…ということで、ドラマの感想というより、ドラマのシーンに刺激されて、感じたことでありました。