山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「すれちがうとき 聴いた歌」



今日は、枡野浩一さんから献本していただいた、「すれちがうとき聴いた歌」を読んだ。

枡野さんは短歌の歌人だけど、小説もお書きになるのである。短編がいくつか並んでいて、最初にその小説を象徴するような短歌が歌われている。

「毎日のようにメールは来るけれど あなた以外の人からである」

とか、いう風に。

なかで気に入った短歌は、

「だれにも愛されないということの 自由気ままを誇りつつ咲け」



「気づくとは傷つくことだ 刺青のごとく 言葉を胸に刻んで」

などです。

短歌を読んだだけでわかる通り、孤高の…ちがう言い方をすると、ひとりぼっちの…もっというと……あんまりモテない、傷つきやすいひとたちの物語である。

そういうひとたちの、ささやかな日常にちょっと苦い経験やちょっと甘い経験の瞬間を切り取っている。

ひとつの小説の脇役だった人が、別の小説では主人公になっていたりする。

ドラマや映画だと、主人公はずっと主人公のままで、脇役は脇役のままだけど、現実はそうじゃないよね。

どんな人も、そのひとの人生のなかでは主人公でしかない。どんなに冴えない人生であったとしても。

枡野さんの小説の登場人物たちは、いつも、なんだか居心地が悪そうにしているひとたちである。

結婚していても、恋人がいても、なんだか、足りないような、足りすぎるような感じで生きている。

それから、ゲイのひともよくでてくる。いや、ゲイと限定すべきじゃないな。同性愛者なんだけど、女性ともつきあえるし、そもそも、その時々で変わるかもしれない欲望を限定されることにすんなりこないひとたちかもしれない。

ゲイとは、普通の恋愛(へてろ)から見たら少数派だけど、中身はいたって、普通の恋愛をするひとと同じなのに、ことさら、変わった部分だけを目立たせてしまうところがむずかしい…のかな。

さらりと読めて、でも、ちょっと苦い味の残る小説集です。

時々、ふっと笑えたりね。

それは、枡野さんご自身にも似て、おもしろ苦いとでもいっておこうかしら。

先日、東京国際映画祭で上映された「ひとつの歌」(杉田協士監督)で、俳優としてもデビューされた。

不思議な方である。そして、時々、びっくりするくらい正しいことをおっしゃる方でもある。

多くのひとが、「くじけないで!』と声援するときに、「くじけな」と言い切るような。

強いもの、早いもの、大きなものが、すごいとされるのが当然の世界に、「なんで?」と首を傾げてみせる。

世界にずれを感じている方にはおすすめの一冊。

でも、読んだからって、世界からのずれがなおったりはしません、たぶん…笑。