そんなわけで、ロンドン3日目。
けど、今日は、行きの飛行機のなかで見た映画について。
風邪気味で、半睡状態だったので、正しい鑑賞者ではなかったけど、気がついたことがあるので、それを書きます。
見たのは、「猿の惑星/創世記」「スティ・フレンド」「バッド・ティチャー」の3本。
「バッド・ティチャー」は面白かったけど、睡魔に負けて途中までしか見てません。
「猿の惑星」については賛否両論の感想を聞いたけど、私は面白かった。
動物を虐待する人間が嫌いだし、一方で、動物がその知性を働かせて、人間に勝って行く…というのは、気持ちがよかった。
自分も人間なので、「負かされる」側のはずなんだけど、日頃から、人間のやることに、「しようもねーなー」って思っていたから、猿にギャンふんと言わされるのは、小気味よかったです。
もう、地球は人間以外に任せたいですよ。(できれば、犬に…)
うってかわって、「スティ・フレンド」は、ニューヨークとロスを舞台にした、今風の恋愛コメディ。恋愛っていうか、sexコメディでしょうか。ずいぶんとハイテンションで作ってると思ったけど、まあ、今の恋愛ってこういう感じなのかなーと冷静に見てました。
セックスフレンドとして割り切った関係で始まったふたりが、いつのまにか、それ以上の存在になって…という、予想のつく脚本。
セックスフレンドで始まったふたりがそのままでした…じゃ、映画にならないもんね。まあ、いいや。
で、問題は、この「猿の惑星」と「スティフレンド」という、全然別のジャンルの映画なのに、共通するところがあるってこと。それに驚いた。
しかもそれが、両方の映画にとって、物語を推進するキーになっているってこと。
こういう偶然を見ると、映画もジャーナリズムなんだって思うわ。
で、その共通項とは、「認知症の父親」です。
「猿の惑星」の主人公であり、猿の味方である科学者(でいいのかな?)のお父さんが認知症なんですね。認知症と断定していいかわからないけど、高齢で、ぼけがはいっていることは間違いない。
このお父さんの存在があるから、猿は進化してしまうわけですね。
一方、「スティフレンド」にも、ぼけたお父さんが出てきます。主人公のジャスティン・ティンバーレークのロスに住んでるお父さんが認知症っぽいのね。
こちらも主人公の父親なわけです。
そうか、アメリカでも高齢者の認知症ってかなり、ポピュラーなものになってるんだなーと思いました。
(みんな、知ってることなんでしょうか)
そして、そういう存在をきちんと物語のなかで描く必要があるってこと。
映画はやはり時代を映しているんだなと思った次第。
でも、なぜ、「父親」なんだろう。
認知症って男のほうがかかりやすいのかな?
女性のほうが長生きだから、女性のほうが認知症になる確率が高そうだけど、なぜ、父親なのか。
これって、たぶん、父親のほうが「ドラマチック」になるからだよね。
つまり、立派な男であり、社会人であり、父親であったひとが、「ボケる」ことの衝撃。
家事をしていたお母さんがボケるよりずっと衝撃的であり、ちょっと惨めであり、涙を誘いやすいでしょう。
だから、父親が認知症なんだよね。どっちも先にお母さんが亡くなったことになっているけど、そういうケースのほうがリアルには少ないはず。男は早く死に、女が生き残るのが普通だからね。
ここらへんも、実際よりも、「ドラマチック」に描けるほうを選んでいるわけですね。
(異論はないけどさ)
このように、映画もかなり計算されてつくってあるのでした。当然ながら。
そんなわけで、映画の話でした。
今日は、風邪も治ってきたので、月曜から通う英語学校の下見に行きました。
地下鉄1本で乗り換えなし、30分くらいの距離です。便利だこと。
しかし、こういうのも下見というか、行く前に確認しておくのだ。そこらへんは慎重であります。
自分は東京のど真ん中で生まれ育ったため、都市で暮らすことに慣れている一方で、都会の恐ろしさも充分わかっているつもりです。
慣れ親しんだ町でも、ちょっと気を抜くと恐ろしい目にあうのが都会であります。
なので、時間に余裕のある、今日、ちゃんと下見してきたのでした。
…自慢するほどのことじゃないか。失礼しました。