山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

face bookにおける友達の意味とは?

ロンドン26日目。

昨日は、BBCで、face bookのことを特集していた。1時間の番組で、マーク・ザッカーバーグも出演していた。

英語力が至らないので、半分くらいしかわからなかったけど、面白かった。

face bookの魅力と問題点を検証していた。

問題点としてあげられていたのは、「広告に利用される」ことと、「プライバシーがもれて行く」ことなど。

マーケティングにとても役に立つ…と語る広告関係のひとがインタビューされていたし、fbを使って、儲かったひとなども出ていた。

もちろん、サッカーバーグは若き億万長者である。

この他に批判されていたことがもうひとつ。

face bookの友達は、本当に友達なのか…という問いかけである。

番組の中盤で、作家(アンチfbなひと)が出てきて、「果たして友達は、何百人もいるだろうか」みたいな言葉を投げかけていた。

彼のコメントに合わせて、「友達は何百人もいらない」「友達は四人くらいで充分だ」みたいなプラカードを持った青年が出て来るビデオが紹介されて、興味深かった。

このときの「友達」というのは、よく会って話し、喜びも悲しみも分け合うような間柄の相手を指すだろう。

確かにそういう「友達」なら4人もいれば、充分だ。

けど、face bookの「友達」はすでにこのような「友達」を指していないと思う。そこらへんを誤解すると、「友達は、何百人もいらない」というコメントになる。

もちろん、いいたい気持ちはわかる。心を分かち合う友達は、確かに4人どころか、ひとりか二人でも充分だ。

けどさ。

fbの「友達」はそういう種類の友達じゃないんだよね。

それは、つまり、「メディア」だ。

今や、「友達」とは、メディアのことだ。

もう少し詳しく説明すると、これまでは、私たちはいろんな情報をマスメディアから受け取っていた。

テレビ、新聞、雑誌、本などにお金を払い、情報を買っていたのだ(テレビは無料だけど、膨大な広告費がかかっていて、知らずに広告された商品を買っているから、支払っているとも言える)

けど、流れは変わりつつある。

自分もそうだけど、情報は、ツイッターやfbからもらうことが結構多い。

どの映画が面白かったか、どの舞台は見逃しちゃだめか、どの小説がイケてるか…。

などは、ツイッターからもらう。(自分の場合、fbよりツイッターのがよく利用しているので。でも、意味としてはfbでも同じなので、ツイッター、sb、mixiなども含めて、広く、snsとして続ける)

もちろん、テレビも時々見るし、新聞関係のネット上の記事も読むけど(すでに、新聞は購読していないし)、生の情報、早い情報などは、sns上の友達からもらうのだ。

そう、友達とは、自分の知りたい、自分に役に立つ、情報を伝えてくれるメディアなのだ。

そして、同時に、自分自身も相手に対して、「メディア」になっているはずだ。

こちらからも情報を発信しないと、「友達」としての価値がなくなってしまう。

このときの情報とは、何も、「どこでどんな映画をやっている」というニュートラルな情報だけでなく、単なる個人的な話でもいい。

語られるもの、貼られる写真、などが、興味深いものであれば、「友達」は増える。

そういう仕組みになっていると思う。

そして、それは画期的なことであり、「親友は4人しかいらないよね」という古典的な友情にこだわっていると真実を見失う。

それはそれで大切にすればいい。

けれども、もはや、情報はマスメディアが独占するものではなく、自分が選ぶものになったのだと思う。

face bookの成功はそこにあると思う。

コレまでになかった、友達メディアの創造だったから、ヒットしたのだ。

そのことをわからずに、fbとかを批判してても、しょうがないよな、と思った。

蛇足だけど、このBBCの番組の女性レポーターの服装が、シンプルだけど、いちいちお金がかかっていそうなブランドものカジュアルで、それも充分楽しかった。

もっと英語がわかれば、もっと面白かったのになーと悔しい。

あ、今日の写真。ちょっとコベントガーデンに行ったので、クリスマスイルミネーションとにぎやかなアップルマーケットを。

(皮肉なことに、コベントガーデンで一番、ひとが集まっていたのは、こっちのマーケットじゃなくて、macを売っているアップルストアでした!)