第三舞台の復活&解散公演「深呼吸する惑星」をWOWOWの録画で見ました。
もちろん、劇場で見たかったのですが、公演期間中はロンドンに行っていたので、泣く泣く、というか、それでも見られるのは有難いと思って、WOWOWの番組で見たのでした。
第三舞台は、80年代半ばくらいから熱心に見ていた劇団でして、「朝日のような夕日を連れて」と「ハッシャバイ」は、今でもきらきらとワンシーンを思い描くことができるほど、衝撃を受けたし、大好きだし、すごいと心底思ったものでした。そもそも、芝居というものに興味を持ったきっかけになったのが第三舞台でした。
それまでの小劇場のイメージって、ドロドロした世界とか、それこそ、子宮でものを考える女性が出てくるような、おどろおどろしく、エロス全開!とか母と子の確執とか、…あまり好きになれませんでした。
大学時代、それでも、そういった傾向の芝居も見てましたけど…。
ところが、第三舞台を初めて見たとき、あまりのかっこよさ、自分の気持ちにぴったりくる演技、演出、音楽の使い方、笑い、衣装など、ほれぼれし、以来、ずっと見続けて来ました。
テレビ業界に入ったので、その後、鴻上尚史さんや筧利夫さんや小須田康人さんと仕事する機会もありました。(っていうか、自ら作ったのね…)
それはまあ、余談ですが、だから、今回の舞台、すっごく楽しみでした。
「深呼吸する惑星」とは、宇宙の辺境にある、なんだかどーってことない星で、そこで繰り広げられる群像劇です。
で、たぶん、テーマは、過去と未来かな…。こう書くとものすごく大ざっぱだな。
現在の位置から過去を照射して、今の場所を確認して、先へゆこうっていう、そんな感じ。
その中間地点、という意味でも、「どうってことない惑星」という地球とどこかの通過点である場所が舞台であるのは、設定からして、テーマを反映していると思った。
そこは地球人と宇宙人が行き交う場所だし、過去と未来が交差する場所なんですね。
一番の盛り上がりのシーンは、現在、48歳になってしまった、かつては映画監督を目指した男と、彼の大学時代の友人で、21歳で自殺してしまった男の幽霊(幻)との対話だったと思う。
48歳の「なにものでもない男」を筧利夫さんが演じ、21歳の幻の青年を高橋一生さんが演じていた。筧さんの独白が、あれはきっと、劇場で聞いたらもっと、ずっとじんと来たと思う。
21歳で志し半ばで自殺した友人と、48歳の自分が並んで鏡に映ったとき、あれから30年近い年月が流れ、すごく遠くまで来たけど、いったい、自分はどこまで来たのか、何をしてきたのか、結局、なにかになれたのか…という問いかけ。
そして、そこで、自分は、「なにものでもない」と発見すること。
これはやっぱり、40代という中年を迎えてしまった人でなければ、なかなか感じることのできないものなのではないか。
隣にならぶ、無傷の21歳の青年。
彼はなにも言わないけど、言わないからこそ、痛みを感じてしまう。
前に友人(監督)と自殺について話したとき、彼は、40代の自殺なら止められるけど、20代の自殺は止められないと言った。彼、いわく、「40代なら、もう少しで終わるんだから、もうちょっと生きようよ」と説得できる。でも、20代じゃ、長すぎると言った。
私は、20代なら止められるけど、40代は説得できる自信がないと思った。20代なら、これからまだ、楽しいことたくさんあるよ、と言えるけど、40代にそんなこと言えない気がした。
そんなエピソードを思い出したけど、やはり、この年代になると、過去を振り返りつつ、先もそんなにも長くないけど、短いというわけでもない、微妙な地点。
そこで、昔の誰か…かつての自分に似た誰かと向き合うことで、ずっしりとこれまでの人生を思うんだよね。
うぐぐぐ。
ある種とても懐かしい、やりたいことがわかる、舞台でした。
やっぱり、劇場で見たかった。