山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ドラゴン・タトゥーの女」

ここ最近、結構、映画は見ているのですが、感想を書くのをサボってました。

メモ的に最近みたものを列挙すると…

「ヒミズ」
「ドラゴン・タトゥーの女」
「ウインターズ・ボーン」

以上は映画館で。

自宅にては
「ヤコブへの手紙」
「昼下がりの情事」

あ、そんなにたくさんでもないか。

とりあえず、今夜は、「ドラゴン・タトゥーの女」について書きます。

かなりヒットしているみたいですが、自分にとってはあんまり面白くなかったです。

監督のデビット・フィンチャーの作品では、前作の「ソーシャルネットワーク」は良かったし、そもそも、「ファイトクラブ」は大好きですが、どうもこの監督さんの作品、自分にとっては、波があるというか、「ベンジャミンバトン」もあまり納得できなかったし、作品ごとに随分、違う評価です。

で、「ドラゴン・タトゥーの女」

始まり方とか映像美って意味ではかっこいいし、思わず引き込まれるんですけど、冷静に見ていくと、どれもが、「どこかで見たモノ」って気がしました。既視感が強い。

40年前に失踪した少女…その謎を解いていくわけですが、犯人も事件そのものも、それほどびっくりしませんでした。それは、みんな、すでに知っている物語だったから。

もしかすると、スエーデン版はもっと楽しめるのかもしれませんが、ひとつはキャラクターショーだからかなと思います。

キャラクターショーとは、特別なキャラクターを持ったひとを主人公にして、そのひとの持ち味で見せていくという方法。昨今のサスペンスってこのパターンが多い。

「ドラゴン…」でいうと、探偵のリスベットという女です。彼女の背中には、タイトル通り、ドラゴン・タゥーがあり、23歳で保護観察処分つきで、服装も過激だし、言動もかなりいっちゃってます。

そこらへんを「楽しんでくれ」ってことになるのでしょうが、それはそれで面白かったんですが、それでも、ストーリー全体でみると、この「特異なキャラクター」がつじつまが合わないところが結構ある。

彼女の相手役になる、雑誌「ミレニアム」の記者の男、ミカエルも、それなりにキャラのある設定なんでしょうが、それもどーも生きてこない。

そしてさらに、犯人と事件の真相も、「あーどっかで見たことある」って気にさせるものでした。

トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の冒頭に、「幸福な家庭とはどこも似たようなものであるが、不幸な家庭とはそれぞれに不幸である」とありますが、それにのっとっていうと、この「不幸で悲惨な事件」は、どこかに似たようなものなんです。

例えば、「羊たちの沈黙」、例えば、「ファイトクラブ」を最初に見たときのような、人間の新しい面を見たような、人間のやることの新しい局面と評価を見たような気にさせることがなかったんです。

犯人像もどこかで見たような人だったし。

いってみれば、「新しい革袋に入った古い酒」ってやつです。

包装ー包み紙は新しいけど、中身は、よく知っているもの…。

自分が好きなのは、「古い革袋に入った新しい酒」です。なんなら、「新しい革袋に入った新しい酒」でもいいですが。

でも、そうそう「新しい酒」には出会えないものです。なぜなら、新しい酒を造ることは本当に難しいからです。

そして、苦労して新しい酒を造っても、たいていのひとは、「こんなもん、飲んだことない、まずい」「こんなの酒じゃない」といって、受け入れてくれないからです。

それよりも、みなさんおなじみの酒を、目新しいパッケージで包んだり、新しいグラスに注いだりした方が、好まれるんですね。

ことごとくエンタメ界では、こっちの古い酒が好まれる。もちろん、私もよくできた古い酒、嫌いではないのですが…。

世界的ヒット作をあしざまに言って申し訳ありません。

そして、これからも新しい酒を求めて生きていくのでした。

(実際には、アルコールはもう飲まないのですけど、比喩ですよ、比喩)。