山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

成熟するツイッター

ツイッターもやってるし、facebookもやってるし、未だにmixiも一応やってる…笑。

どれだけ、sns好きなんだ、ってことですが、基本、好きだし、自分にはとても向いているメディアだと思ってる。

そこで、最近、気づいたことを。

ツイッターも、最初の頃は、悪意のあるツイートをされることがあった。

こちらが何気ない気持ちで書いたことを、ねちねち突っ込まれたり、「作家としてどうよ」と言われたり、とあるアーティストのファンと称するひとから、「勝手に書くな」と言われたり。

かつてmixiに日記を書いていたときなんて、一日に何十件も、悪意あるコメントを書かれ続けたことがあった。

このブログにしても、コメント欄を設けていたときは、いや~な感じの書き込みをされることもあった。

で、コメントできないシステムにしたし、ツイッターでもイヤな感じの場合はブロックするなど、対応には務めてきた。

そのせいかと思っていたけど、ふと、気づくと、いやなツイートを返されることがほとんどなくなった。

ツイッターを始めた頃より、圧倒的にフォロワーは増えているんだし、利用者も増えているんだから、悪意のあるツイートが増えてもいいようなものである。

でも、来なくなった。

これは何を意味するんだろうか。

あきれ果てて、嫌味を書き込む気がなくなった?

「ツイッターで論争はしません」と時々、申し開きをしているせい?

いいえ、どっちも違うと思う。

なんか、みんな成熟したんじゃないでしょうか。

というか、ツイッター上の、WEB上のマナーが向上したんじゃないかな。

もちろん、相変わらず、悪意全開で、悪口を書いているひとは時々見かけるけど、それでも、著名なひとで言論好きなひとのツイートを見ても、一時より、圧倒的に、「言い合い」は減っているように思える。

なんか、そういうの、無意味だよねーって共通の認識が生まれたんじゃないかな。

さっきも書いたけど、利用者が成熟したというか。

マナーが育つ…には普通時間がかかるものだけど、そこは、ネット社会は、早いのかもしれない。

これまでなかった世界だけに、少しでも住み心地をよくしたいと、結局のところ、みんな思っているから、痛いツイートをした後に、自分も傷つくことがあったんじゃないかな。

そんなわけで、意地悪されることもなくなり、自由にのびのびと、好きなこと書いてる。

これは楽しーことだ、いいことだ。

いろいろたいへんなことはわるけど、インターネットという世界の出現は、限りなく、自分にとっては、「よきこと」だった。

電話でつながる世界より、ずっといい。

そして、ひさしぶりに今夜テレビみたら、ちょっと不快な気分になり、つくづく、自分はこっちのネットの世界のが好きだなー気楽だなーと思えた。

このことについては、ツイッターにも少し書いたけど、また、別の機会にあらためて書くことにする。

今日、1本テレビ番組を作り終わり、そして、明日から次の1本の編集が始まる。

うー忙しいけど、とにかく、4月23日のソウル行きまで、頑張る。

ソウルでは、自分の小説の韓国の翻訳者を会える予定。うれし。