山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

いいドラマが生まれる瞬間など。

忙しいといいながら、4月クールに始まったドラマを3本ほど見てしまった。

漠然とした感想としては、刑事物が多いなーと言うこと。

刑事物も細分化していて、

コメディ系刑事物…時効警察、ケイゾク、specなど、

シリアス系刑事物…ストロベリーナイト…あ、あと思い浮かばない、

人情系刑事物…おみやさん…?

という風にバリエーションにとんでいる。

そんなにみんな、刑事が好きか。そんなに殺人事件が好きなのか?ってなもんです。

自分は正直、あんまり、刑事物、殺人モノが好きではない。

犯人捜しや、事件のトリックみたいなものに、それほどの興味を持てない。

基本的に「人間ドラマ」が好きなので(今、流行らないけどさ)、犯人あてクイズに萌えたりできない。

もし、殺人ものをやるとしたら、殺人に至る経緯、犯人と被害者の人間関係の細部まで降りていくものがいい。

殺意が簡単に説明されてしまうものに興味がわかないのだった。

……それにしても、長く生きたせいか、たいていのドラマを見ても、構成やストーリーの見せ方がわかってしまう。…わかってしまうと楽しめない。

構成がわかってしまい、企画書の上の企画意図や、会議の様子が想像できるなーというタイプは乗り切れないけど、とはいえ、何度も見たような設定であっても、セリフのちょっとした部分の魅力や俳優さんの演技によっては、知らないうちに引き込まれるから不思議だ。

それをもって、作り手側の力量ってことになるのだろうか。

「きっと、こういう物語だろうなー」と思っていても、知らぬ間に「じん」と来て、熱心に見ることになることもあって、もしや、ドラマって、設定でも構成でも脚本ですらなくて、脚本、俳優、演出すべてがからまりあって生まれる、一回性の奇跡みたいなものかもしれない。

これは、一演出家によって変えられるものでなく、一脚本家によって、描きだせるものではない。

いい場が出来たときに、ふっと生まれるものかもしれない。

もちろん、そういう「いい場」ができるように各分野のひとが努力する…というのは必要だけど。

というわけで、今週もめちゃ忙しいですが、今日は、少し早めに家に帰ることができたので、ちょっとは披露が回復するといいのですが。

正直、疲れマックスで、やってます。