山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

理想の老い方

先のことなどあまり考えたくないし、特に、80歳になったらどうなるだろう…とか、想像したくない。

女性の平均寿命は83歳くらいだから、それまで生きる可能性もある。

その時、どうなるんだろうなーと漠然と想像することもあるけど、あまり長い時間考えないし、「ま、なるようになるでしょ」と考えるのをやめることが多い。

心配したところで、どうなるってもんでもないし、

一方で、「おひとりさまの老後」で上野千鶴子さんが書いていたように、
「結婚しても、子供がいても最後はひとり」なのだから、

「ひとりで死ぬんだな」という漠然とした覚悟があればいいと思っていた。

(女性の平均寿命からすると、結婚しても配偶者は先に死ぬし、子供がいても、子供に看取られるひとは少数になりつつあるという統計を元に上野さんは書いていらっしゃる)。

先日、犬の映画のことで、元・構成作家でディレクターでもある友人に相談したとき、彼女は、犬や猫と暮らせる老人ホームにたいそう興味を持ち、「こういうところがあれば安心!」と言っていた。

彼女も今は同居人がいるけど、「男の方が早く死ぬ」というのは、お互いなんとなく、思っていることである。

そのあと、ひとりになってどーするか…は結構、大きな課題だ。

フリーランスで長く生きてきたから、ホントに老人ホームみたいな集団生活できるのか。犬が一緒だと随分安心だけど、小学生ですでに集団生活からこぼれていたからね。

そんなとき、あーこういう風に生きたらいいのね、というお手本というか、ロールモデルに出会った。

…というか、前から存じ上げている大先輩であるけど、現在80歳の女性ディレクター。

今も現役で仕事をされているが、先日、体調をくずされて、入院されていた。

退院後、ひとりで養生されていたそうだが、近所なので、ちょっとお見舞いに伺った。

その前の段階で、共通の仕事関係の友人に、「病後でさびしくされているといけないから、電話をしてあげて」とメールを送った。見舞いはわずらわしいとしても、短い電話なら、気が紛れるかなと思ったのだ。

ところが。

「そんな心配は無用。一人で死ぬ覚悟はできている」と叱られてしまった。

特に仕事ようのメーリングリストを使ったことを叱責された。「公私混同するな」と。

ホントに厳しいひとなんだよ。

そんなお節介に対する詫びの気持ちもあって、フルーツなどを持って、ちょっとお邪魔した。

すると、その日は、彼女の作品の上映会があった日で、親しいスタッフが車で迎えに来て、上映会に出席されていた。

上映会の様子などを聞きながら、持ってきたフルーツを冷蔵庫に入れた。

すると、

冷蔵庫は整頓されていて、とてもキレイ。

気づいて部屋を見渡しても、キチンと片付いている。

病後の一人暮らしの家とは思えないくらい、ちゃんとしている。

うー。立派すぎる。

なにか手伝えたら…と思った自分のほうがずっとだらしない。

「これから撮りたいものがある」と仰る一方で、「いつでも死ぬ覚悟はできている」と明言する。

そのために数年前に不動産も処分され、荷物も片付け、身軽になって都心で暮らしているのだ。

でもさ。

ひとり、と言っても、それまでの作品の上映会があって、その出席のために、スタッフが車で迎えに来たり、夜になれば、近所に住む、後輩のダメ人間だけど、彼女を尊敬する人(=わたし)がやって来たり、とにぎやかなんだよね。

あーなんて理想的な老後なんだろうって思った。

血縁関係などなくても、彼女の仕事(作品)と人柄が、人々を惹きつける。

喜んで、世話をしようと思ってやってくるのだ。(私もそのひとり)

そもそも、老後じゃない。現役で年を重ねただけだ。

「もう、年だから」なんて、年齢を言い訳にすることがいっさいない。

かっこ良すぎる。

「老い方のお手本を見た気がします」と言ったら、「お手本なんて言うな。ひとそれぞれの生き方があるんだから、私のマネなどするな」とすっぱり言われてしまった。

そうね、比べるもんじゃない。

でも、やっぱり、目標にさせてもらおうと思った夜。