山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

不思議なこと。

先週末にひとつのテレビ番組ができあがり、納品も終わり、ちょっと時間ができた。

…ってことを今、初めてここに書いているにもかかわらず、まるでそれを知っていたかのように、連絡をくれる人たちがいる。

短いエッセイの依頼、愛読していた雑誌からの取材、次の映画に関する望んでいた返事、友人の映画の試写、友人の新刊書に自分の映画の写真が掲載されること……などなど。

とにかく、まるで「待っていてくれた」ように、週末から今日にかけて連絡が来るのである。

こういうの、シンクロニシティ(共時性)っていうのよね。

もし、これらの連絡がほんの一週間前だったら、うまく対応できないものもあったと思う。

ほんとにナイス・タイミング!

あんまり、運命論者じゃないけど、時々、やっぱり、冷やっとすることがある。なんだかつながっているなーと思う。

それと逆にタイミングの悪い相手というのもいて、こちらが超忙しくて身動きできない時に限って、連絡があったり、やっと時間ができて、連絡すると相手がいなかったり。こういうの、縁がない…っていうんだよね。

そんなわけで、不思議なことってあるんだなーと思う。

wowowでやっているアメリカのテレビドラマ「touch」は数字による共時性がテーマのお話。全世界のひとたちが、ある数字によって、同時につながっている…というお話だ。それを見抜くことのできる少年がいて、その数字を読み取り、世界が不幸にならないように、数字を使って、人々を救う、っていうお話なんだ。

見ている時は、「そんな偶然あるかよ…」って思うけど、なるほど、小さな偶然はある。そして、これが偶然とは思えないことがあるから不思議だ。

最初に書いたように、忙しい仕事が一段落した途端に来る連絡とか……。別に相手は、私のスケジュールを知ってるわけじゃないのに。

自分にとって、共時性は比較的いいことが多い。いいことが重なる…とか。

でも、あるひとにとっては、偶然によって不幸になることもあるだろう。犯罪に巻き込まれたり、犯罪者になってしまう場合、そこには悪い偶然があるのだと思う。

ある犯罪学者から聞いた話。

銀行強盗を企てていた男が、銀行の前に車で乗り付けた。いざ、強盗に入ろうとしてもなかなか決心がつかない。怖じ気づいたのだ。

そのまま、車のなかでじっと機会をうかがっている。そのうち、緊張が頂点に達して、喉が渇き、飲み物がほしくなる。そこで、車で移動し、近くの自動販売機から飲み物を買おうとした…。

すると…。

なんとその自動販売機から「当たり」が出た。キラキラとライトが点滅し、もう1本、無料で缶ジュースが出てきたのである。

それを見た男は、「神様がやれと言っているんだ」と解釈し、自信を持って銀行に押し入った、と言う。

これなど、悪い方の偶然だろう。

ほんのちょっとのズレ。ほんの少しの重なりによって、案外、人生は大きく動く…かもしれない。

犯罪には、一線を越える瞬間にこのような奇妙な偶然があるらしい。

なにが一線を越えさせるのか…を調べるのはとても難しいという。

でも、一方で、「ジュースの当たり」を、「自分には運があるのだから、強盗ではなく、別のことでチャレンジしよう」と解釈することだってできたはずだ。

だから。神様の用意してくれた偶然をどう解釈するかは、その人自身なのだ…とも思う。

運命なんて、変えられる…とも思う。

とにかく、今はシンクロニシティに感謝しつつ、年内、突っ走ろうと思う。

これから、やりたい仕事にチャンレジなのだ。忙しくなるけど、上等だぜい。って気分。

自分が望んでいないことは起こらないからねー。