山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「私が生きる肌」

連休前に、4日間ほど、北の地方に行って来た。

ちょっとハードな取材だったけれど、出会った人々はみんな優しくて親切で、驚くほどでした。

今まで体験したことのない取材で、非常に刺激的でした。

が、最終日には自分史上初めて体調をくずし、正直怖かった。

これまで20年以上、テレビの仕事をしてきて、どんなにハードでもロケやロケハンで体調をくずしたことはなかった。バングラデシュの奥地やアフリカのサバンナでも、極寒のスウェーデンでも大丈夫だったというのに。

年か。あるいは、取材がきつかったのかな。

でも、すぐに持ち直し、東京に帰ってきた。

なので、昨晩と今日は家でおとなしく映画を見てました。

昨晩見たのは、スペインの巨匠アルモドバルの「私が生きる、肌」。

昨年公開されたとき、見損なって前から見たかった作品。

非常に良く出来ているし、映像は美しいし、びっくりするようなストーリーで飽きさせないけれども、見終わったあと、いったいなんだったんだ?という気分にもなった。

肌の移植手術を得意とする中年の男性医師が主人公。

なにやら、自宅の地下室に美しい女性を監禁しており、彼女に肌の移植手術をしているらしい。こう書くとマッドドクター、変態やろうみたいだけど、そういう風にも見えない。

地下室の女性はどんどん美しくなっていく。

ある日、虎のコスプレをした男がこの家を訪ねてくることからそれまでの平和が乱される。

カーニバルのシーズンで、仮装している人々が街にあふれている…と設定して、「虎」の衣装の男が現れる、という演出がうまい。

中身も外見もいかにも「虎」だからだ。こういう意匠が効いてる。

けれどもとても、奇妙な作品。「肌」がテーマのようでいてそうではない。

「肌」を変えても中身は変わらないことくらい、普通にわかりそうなものだが。

ちょっと食べ足りない気がして、今日は、ガルシアマルケスの息子、ロドリコ・ガルシア監督の「愛する人」。

これ、原題は、「mother and daughter」なんだけど、望まれない妊娠をした女とその結果生まれた子供の養子がテーマ。

主人公は50代の女性で、14歳の時に妊娠、出産後すぐに、子供を養子に出している。37年たってもその子供のことを考えている。

一方、その子の現在も描かれる。仕事で成功しているが、生まれた街(ロス)に何度でも戻ってくる。

この母と娘のすれ違いを縦軸に、養子を求める女性の話が交錯する。

途中まではよくできているなーと感心して、なかば感動して見ていた。

が。時間が進むにつれて、違和感が増大していった。

「女は生んだ子供のことを片時も忘れたりしない」とか「母はいつも子供のことを思い続ける」とか「やっぱり血のつながった親子は求め合うものだ」とか、「母」や「女」に過剰な思いをつけすぎている。

同じようなテーマを描いた作品なら、マイク・リー監督の「秘密と嘘」のほうがずっとリアルで、人間を深く描いている。

主人公の娘をナオミ・ワッツが演じているんだけど、おさえた演技はいいけど、彼女の行動が解せないし、結末もかわいそうすぎる。なんで、そんな結末を持ってきたんだろう。

どこか、彼女たちを罰しているような映画だ。

10代の不慮の妊娠、その先の出産は、多くの困難をともなうけど、それが一生を支配し、精神を歪ませてしまうように描くのは、趣味のいいものじゃないと思った。

演出が細やかで映像も美しく、よくできているように見えるからこそ、なんだか、ひっかかった。

「女性性」を過剰にとらえる作品は苦手だ。というか、偏見を生みそうだからいやなんだ。

この監督、女性に恨みでもあるのかしら…とちょっと思いました。

明日から連休のようだ。

わたくしは、通常通りの生活でございます。