山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

救いがないおはなし。

仕事の関係もあって、「欲望という名の電車」(1953年制作)と「セールスマンの死」(1951年制作)の2本の映画を見ました。(dvd)

いやーどちらも残酷で救いがない。

「セールスマンの死」は、優秀なセールルマンだった男が60代になって、だんだんセールスの仕事がうまくいかなくなり、それでも、営業しか仕事がもらえず、かつて将来有望に見えた息子たちもまともな仕事につけず、妻は夫がだめになりつつあるのを知りつつもなにもできない…という八方ふさがり、ダメダメのお話し。

で、全然、解決の糸口なく、60代(正確には63歳)のセールスマンは保険金目当てに自殺するんですね。その保険金で、家のローンを払おうとする。しかし、男が死に、保険金がおりたところで、妻が、手に入った家を前にして、ここにはもう、誰も住む者はないと嘆く、という結末です。
(息子たちは、出ていってしまうのね)

60年以上前のお話しですけど、同じような状況は今でもどこにでもあるなーと思う。息子たちは、言ってみれば、ニートだし。父親は会社いのちの猛烈サラリーマンなのね。妻は専業主婦。

もう60年も前から、このモデルはやばいよ…って言われてたんじゃないか…。

会社命の頑固オヤジに専業主婦の妻、ニートの息子って、今でも充分、テレビドラマになる設定でしょ。

この映画のなかで、痛いなーと思ったのは、セールスマンひとすじの男が信じる、「美しいセールスマン秘話」

83歳でも現役のセールスマンがいて、彼は人気者なので、今では、彼が出かけなくても、客が自ら彼に会いに来て、商品が(なにを売ってるのかわからなかった…)が売れる…というセールスマン美談。

こういう理想のセールスマンに主人公もなりたかったのね。83歳のセールスマンが実在するのかどうかわからないんだけど、これって、今で言うと、ビジネスのハウツー本に出てくる話みたいだ。こんなセールスマンを目指そう!みたいな。

この主人公は自分の理想とする姿と現実の自分とがどんどんかけ離れていくのに、どうしても自分の現実を受けいれることができずに、精神状態が不安定になっていくわけです。

彼はずっと後悔している。「あの時、兄に従ってアラスカに行っていたら、今は億万長者だったんじゃないか」。「あーだったら」「こーだったら」とずっと思い続けて、現実を見ない。

そういうひとがどうなるかというと、精神がだんだん壊れていく。現実と理想との距離に我慢できなくなって、死を選ぶわけです。

この、「現実と理想」の乖離に絶えられなくなって、精神が壊れていく、というのは、「欲望という名の電車」の女性主人公、ブランチも同じ。

彼女は、上流階級の裕福な生まれで、教養もあって、国語の教師になる。美人でもあった。けれども、両親が亡くなり、経済的にも破綻し、結婚相手も自殺する…などの悲惨な状態のなか、自分の現実を見ることができずに、「上品で知的なわたし」を装いつつも、娼婦めいた生活に落ちていく。

いよいよ行き場がなくなって、若くして家を出た妹の家を訪ねるけれど、妹の夫は、粗野な労働者階級の男。ブランチは、「知的で上品な私』をここでも演じて、破綻への道へ突き進む。

みなさま、ご存知の内容かもしれませんが、この2本を立て続けに見て、暗澹たる気分になりました。

けれども、主人公たちがとらわれている理想の自分ーこうあってほしい自分なんて、実はたいしたもんじゃないのに、それさえ手放せば、もっと気楽に生きられるのになーと気づかせる作品でした。

ダメな自分を受け入れればいいのにってこってす。

63歳のセールスマンは、稼ぎが落ちたことを正直に妻に言えばいいし、できる範囲の仕事を探せばいいし、息子が農場で働くことを受け入れたらいい。

娼婦になるなら、娼婦である自分を受け入れたらいい。風俗で働いたひとがみんな、精神をやむわけじゃない。

ひとはややもすると、自分の思い描く世界に夢を見て、そんなひとになりたいと思い続ける。それは悪いことじゃないんだろうけど、離れ過ぎていたり、無理に自分をだまそうとすると、自分のほうが狂っていくのだなーと思いました。

それは今も昔も変わらなくて、東京国際映画祭でも上映される「ドコニモイケナイ」というドキュメンタリー映画にも、歌手を夢見る少女が心を病んでいく様子が淡々と描かれていた。

そして、今年、取材してきた、女性連続殺人犯もリアル・ブランチっぽいと気づきました。

知的で上品な女性として振る舞いながら、娼婦をして稼ぐ。

その分裂の果てに、精神を壊すということ。

けど、本人は壊れている…という自覚はないんだよね。

売春が悪いとは思わないけど、(大島渚監督も、「売春する自由があっていい」って言ってた)、事実を受けとめられないとつらいことになるだろうなあ。

言い訳し続けると、つじつまがあわなくなって、自分を追い詰めることになる。

本当はマーロンブランドの演技を見るために見たのだけど、やっぱり、演技の細部より、ストーリーにからめとられていきました。もちろん、ストーリーにからめとられるような、自然な演技だからこそ、なんだと思うけれども。

ちょっと当分、テネシーウィリアムズを研究することにしました。ずっと昔に読んだはずなのに、全然わからなかった。映画も見たはずなのに、あまり胸に響かなかった。ようやく、少しわかるようになりました。

知らないことっていっぱいあるなー。

まあ、自分は自分に甘いので、ダメダメな現実を受け入れちゃってます。受け入れすぎて、いろいろ滞っておりますけれどもね…。とほほ。

あまりに救いがないので、最後に、あまーい写真2連発!