録画してあった映画「クロワッサンで朝食を」を見ました。
主人公は、エストニア人の中年女性・アンヌ。
病気の母親を介護する日々から始まります。
アンヌは、離婚して、子供たちはすでに独立。
雪に閉ざされた暗い町で、認知症の母親を介護する毎日。
夢も希望もないように見えます。
が、転機が訪れる。母親が亡くなり、パリで家政婦をしないかと誘われる。
パリは憧れの地で、それゆえ、若い頃に少々、フランス語を勉強していた。
戸惑いながらも、パリに下りたつ、アンヌ。
しかし、雇い主のフリーダという老婦人は、とーってもいやな奴。
高級アパートに住み、ブランドモノに身を包み、嫌味ばかり言う。
タイトルにあるように、「朝食は紅茶とクロワッサン」と決めており、田舎もののアンヌがスーパーで買ってきたクロワッサンを「こんなモノ、食べられない」と蔑みます。
ほんとに、いや~なばあさんです。
このいやなばあさん、フリーダをジャンヌ・モローが演じてます。
まあ、ここまで見ると、こんなにイヤなおばあさんだけど、やがてアンヌと打ち解けるのだろう…と予想はつきます。
じゃ、なきゃ、コロス。そっちいくとサスペンスになりますが。
映画のたたずまいから、「ふたりは打ち解ける」の方向だろうと。
そうじゃないと、なかなか映画として成立しないですから。
万に一つくらい、「結局、打ち解けられませんでした」という結末に持って行く場合もあるでしょうが、それだとなにを表現したかったの?となりがち。
で、どっちに転ぶのかなあと思いつつ、見ていくわけですが、そのひとつひとつの描き方が、シンプルで王道…悪く言えば、ありがち、なんですが、それでも、じわじわと気持ちが傾いていきます。
エッフェル塔とか凱旋門とか、これぞパリってところがとても効果的に、うまく描かれている。
それはやっぱり、監督がエストニア人で、「パリに初めてやってきた、ひとりぼっちの中年女性」の目線で描かれているからだと思います。
憧れの場所が、ひとの目にはどのように映るのか。
同じ目線で、なにかを見たことがあるひとなら、じわっと来ます。
そして、主人公のアンヌが、もう、若くない、ってところがまた、いい。
(自分と年齢が近いせいかもしれないけど)
異国からやってきても、若者であれば、お金がなくても、多少意地悪されても、そこはパリ!(あるいは、ロンドンでもニューヨークでも)、恋が始まったり、新しい仕事のチャンスがあったり、わかりやすい「希望」がある。
都会はいつもキラキラして、なにか始まりそうだから。
けど。
アンヌは、50歳とかそういう年齢だと思う。おばさんなの。(美人だけど…)
中年の貧しい女にとって、都会はとても冷たい。手を差し伸べてくれるひとも、びっくりするようなチャンスもない。
ほんとうに孤独。ひとり。
でも、ひとりで歩くパリの町はちょっと楽しい。
ウインドウショッピングをしたり、カフェに入ったり。
ひとりだし、仕事はきついけど、故郷にいたときより、ちょっとわくわくする。
アンヌの心がほのかに浮き立つようすが、伝わって来ました。
結末がどうなるかは書きませんが、気持ちが解放されるような、年をとることもそんなに悪くないじゃないかと思える作品でした。
そういえば、「最強のふたり」という映画も、気むずかしいおじいさんと彼の世話をする黒人の介護士の話だった。これも実話。
なるほど。
“心優しかったり、ユーモアがあったりする、介護士によって、気むずかしい老人(=なぜかいつも金持ち)が
心を開く物語”
って、定番になりつつあるのかしら。
介護時代のファンタジーでしょうか。
実話に基づいているそうですが。
このような物語が生まれるのは、実際は、「そんなに簡単じゃない」からでもあり、けど、「希望」を捨てたくないからでもあると思う。
本当に、目も当てられない、いや~な、ずるく生きている、お金へ異常な執着を見せるひと、いますけどね。
けど、希望は捨てたくないな。