山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

ニートとその敵

そんなわけで、日曜日、「ザ・ノンフィクション お金がなくても楽しく暮らす方法」(cx)が無事放送になった。

主人公のphaさんはインターネット上の人気ものなので、オンエア中にツイッターを見たり、2chを見たりした。反響がいっぱいあって、面白かった。

phaさんのブログを訪れる人もものすごい数だったようだ。

で、感想を読んでいて思ったけど、多くのひとが、「ニートってこういうもの」って解釈をしていて、それにphaさんが合わないことをしきりに指摘していた。

ニートって、15歳から34歳までの定職を持たず、学校にも通わず、職業訓練を受けていないひとをそう読んでいるだけであって、それは、年齢と職業もしくは学業についていない、という便宜上のくくりだけだ。

たまにバイトして収入があっても、別にニートの定義からはずれないし、そもそも、その定義にはずれるかどうか、それほど問題なんだろうか。

多くのひとが抱く「ニート像」というのは、自分がなにもしていないことをひどく悔やんでいて、孤立していて、世をはかなんでいる…みたいなものだ。

ひきこもりと混同している人も多くて、だから、楽しそうで友達がいっぱいいるニートが出てくると、「あんなん、ニートじゃない!」となる。

楽しいかどうか、コミュ力があるかどうかはニートの定義とは関係ないはずなのに。

例えば、三浦大輔氏の映画「愛の渦」の主人公はニートだ。お金がなくなり、母親に送金をせびり、もらったお金で風俗に行くところから始まる。

この主人公は、ニートなのに、親のお金で風俗に行ってしまった…ことで、自分を責める。自分はなんてダメな人間なんだって。

いや、もちろん、立派とも思わないけど、親にもらったお金で、「ご飯を食べた」のだったらいいのだろうか。「本を買う」ならいいのか?親にもらったお金で、何をしたら、OKで、なにならダメなのか。

ご飯を食べるのが必要なら、それに使えばいいし、ご飯より風俗なら、別にそれでいいのではないだろうか。

ひとはパンのみによって生きるにあらずで、空腹よりも辛いことだってあるはずだ。

けど、多くのひとは、「こうあってほしいニート像」みたいものを抱く。

仕事していないことを恥と思い、己を責める日々、将来が不安で、でも、やる気も能力もなく、つらい…みたいな感じ。

もちろんそういう状態のひともいると思うし、それをテーマに取材したり、創作するのもありだと思う。
(実は別の創作物ではそういうニートのひとも書いてる、ちょっとだけ)

けど、自分がphaさんを取材しようと思ったのは、「こうあってほしいニート像」を打ち破る面白さがあったからだ。

そして、多くのひとが抱いている、「仕事してなかったら、毎日、クヨクヨするはず」という前提を揺るがすことが面白いと思ったからだ。

「なんで、みんな、ニートは不幸なはずって思うのかしら」と友人に言ったら、
「そんなの、働かない奴が幸せだったら、死ぬほど働いて、大してお金ももらってない自分が否定されたことになるからでしょ。自分はあいつらより、よくやっているんだ、って思いたいんでしょ」という答えが返ってきた。

そうかもしれない。

自分と違う道を選んだ人を認めてしまうと、自分の今が揺らいでしまうからなんだよね。

ニートに対する意見としては、

若いころはいいけど、年をとったらどうなるの?

結婚できないのでは?

子供はどうなる?

日本はどうなる?

…などがあるけど、じゃ、これらの答えに対して、「普通に働いている」ひとは全部クリアできるんだろうか。

税金払っているのか、みたいな問いかけもあったけど、バイトしたり、少額の仕事してたら、源泉やらなにやらで、徴収されて、あらかじめ抜かれたりするので、「払っている」ことになるんだけど、大方は。

日本の税務署は厳しいから、そうそう免れないと思うけれども。

スポンサーのない番組なのに、勝手に企業名を出すひともいて、なにかこう、怒りたいんだなー、テレビを悪者にしたいんだなっていうのは伝わって来た。

そういうことを含めて、いろんなひとの反応を見れたのは面白かったなー。

けどさ、やっぱり、なんか作るとしたら、「みんなが期待する○○像」を作って、安心してもらう…みたいなのはあんまり好きじゃないから、これからも、ちがうことをしようと思った。

まあ、テレビだとあんまりとがったことはできないけど、たくさんのひとに見てもらえるってところはやっぱり、手応えあって、面白かった。

見てくださった方、ありがとうございました!

ロングバージョン、映画にするつもりです。