インターネットの時代になってから、とりとめもなく、いろんなものを読むようになった。
cakesとかの記事はよく読んでいる。
そうすると、小説よりもエッセイというか、人生指南みたいな読み物が多くなる。
対談とか。
最近、読んだもののなかに、気分の変え方みたいなのがあって、それが「スカーフの穴」についてだった。
(タイトルと具体的なブログ名が思い出せない。おそらくcakesのどれかの記事)
プレゼンのために、お気に入りのスカーフを準備した。
バッグに入れておいたら、取り出そうとしたとき、チャックに引っかかり、バッグがあかなくなった。
仕方ないので、スカーフを切るはめに。
結果、スカーフに大きな穴があき、使い物にならなくなった。
痛い、まったく、痛い体験だけど、よくある、とまではいかないまでも、布類がチャックに巻き込まれることは結構あるよなあと思った。
で、問題はここからで、せっかくのプレゼンだったのに、スカーフに穴が空いたことに気を取られて、集中できない。自分はなんでバカなんだろうと落ち込む。
こういうのはよくない、と書いてあった。
そうだ、そうだ。まったくそうだ。
破れたスカーフのことを延々考えても、スカーフは戻ってこない。
それに、モノではないか。
また、買うこともできる。
それよりも大事な時間や気分をなくすほうがもったいないよね、と。
ホントにねえ、自分はねえ、スカーフの穴ばかり見る人間ですよ。
もう、その穴のサイズを測ったり、穴に首をつっこんでみたり、穴から外を見たり。
四六時中、スカーフの穴について考えているようなものだ。
そして、なぜ、穴があいたか、について、遡って考える。
スカーフを買ったところまで、遡ったり、チャックつきのバッグについて考えたり、そもそも、スカーフで、ちょっとおしゃれしようと思う、おのれのあさましさについて考えたり。
客観的に見たら、自分は、スカーフの穴ばかり見ている、おかしな人なんだなーと思いました。
スカーフのことは忘れて、肝心のプレゼン(なんでもいいけど)のことを考えては?
もっともだ。
次に生まれるときには、スカーフの穴なんて、すぐに忘れることのできる人になりたい。
現世ではもう、無理かしら。
とほほ。