山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ザ・ノンフィクション phaさんと小林銅蟲さん

そんなわけで、「ザ・ノンフィクション 会社と家族にサヨナラ ニートの先の幸せ」前編、無事、放送になりました。

phaさんから新刊をいただきました。



銅蟲さんの「めしにしましょう」はこちらですね。






来週、後編が放送で、彼らの「今」が明らかになります。

phaさんに初めて会ったのは、2013年の夏だったと思います。

「ニートの歩き方」(2012/技術評論社)にしびれて、こんな風に考える人がいるんだと、衝撃を受けました。

自分は1980年代に青春を過ごしておりまして、当時、「働くこと」はとてもカッコいいことで、特に女性にとっては、

社会に出て、何者かになることが大きな憧れであったと思います。

85年には男女雇用機会均等法も施行されて、「女のひとでも頑張れば、何にでもなれる」という空気がありました。

自分もすっかりその空気に染まり、テレビ制作会社で一生懸命働きました。

当時は、女性でテレビディレクターになる人は少なく、道は厳しかったんですが、頑張りまして。

で、20年以上の歳月が流れ、テレビ作ったり、小説書いたり、映画も作ったりして、いろいろやって充実はしてたのですが、

基本的には、

「朝は起きられない」
「時間は守れない」
「怒られるのが嫌い」
「人から指図されると死にたくなる」
「人とうまくコミュニケーションとれない」

という病(?)は抱えていまして、

だから、phaさんの本に共感するところが多かったんです。

「もう、がんばりたくないなー」

「好きなことだけやって暮らしたい」

「お金のために働くのはもういやだ」

……でも、彼は私よりずっと若い。

なんで若くして、そんな境地にたどり着いたのだろう?

聞けば、シェアハウスに暮らし、いろんなものを仲間と共有しながら、

「出世」とか「結婚」とか

多くの人が縛られる社会的な常識からとても自由に生きていました。

この人たちをもっと知りたい。

この人たちの生き方には、なにか新しさがある。

そう思って、取材を始めさせてもらいました。

最初は、東日本橋だったかの一軒家に暮らしていて、

その頃、「オイコノミア」(eテレ)で、「シェア」の回として取材させてもらいました。

この時、phaさんを訪ねていったのが、又吉直樹さんだったんですね。

そのつながりで、今回はナレーションをお願いしました。

そのあと、練馬区に引っ越し、さらに、台東区へ。

同時に、和歌山県熊野にある、シェア別荘も何度も伺いました。

泊めてもらったことも在りました。

(今回の放送では、熊野は紹介できなかったんですが、いずれ、ちゃんとお見せしたいです)

phaさんの仲間達はみんな個性的で面白く、そして、とても心のあたたかい人達。

何度もカメラを持ってやってくる私たちを受け入れてくださいました。

…ということで、来週もよろしくお願いします。

今回の放送分は、2013年12月から2016年夏までの記録です。

次回は、2016年夏から2017年3月

今年の春までがご覧いただけます。

よろしくです。

注:現在、なぜかリンクが貼れません。phaさんや銅蟲さんの本のリンク貼りたいのにごめんなさい。