山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「顔よ」@ポツドール

今日は、最先端劇団「ポツドール」の「顔よ」を見てきました。

タイトルの通り、テーマは顔。それも形而上学的なことではなく、顔の美醜がどれほど人間関係?…主に恋愛に関わるかを、徹底的に筆をゆるめず描いた作品。

岸田戯曲賞受賞作品「愛の渦」を彷彿とさせる、四つの部屋がひとつの舞台に建てられたセットで物語りは始まる。本多劇場なので、セットも豪華になってます。そして、いつも通り、びっくりするほど芝居がリアルなこと。本当の彼らの生活を覗きみているような気分になります。

そして、「自分はかわいいと思ってる」とか「ぶさいくなひとって生きてる意味あるの?」とか、とにかく、顔に関するかなりキツイセリフががんがん飛び交うのでした。そのなかで、美貌を誇りにしていたのに、合コンでふざけて顔を焼かれた女子や、夫に飽きている美人妻や、彼女がぶさいくなことを恥ずかしく思っている、自分もぶざいくな男とか、モデル並にハンサムなのに、引きこもっている怪しい男とか、「顔」に対する思いがはっきりしたキャラがこれでもかと描かれるのでした。

そして、それぞれの顔への思い入れやすれ違いから、破滅(?)に向かって進んでいくのでした。

ううむ。それにしても。いつだか「ひとは見た目が9割」(8割だっけ?)という本がベストセラーになりましたが、「顔の美醜」でなんでも決まる(決まるように思える)時代ではある。じっくり考えるとそうでもないと思うけど、そうは言っても相変わらず、「カワイイ女子」探しに必死になってるひとって多いし、女子でもかっこいい男が好きって(中身問わず)ひと、昔(昔っていつだろう)より多くなっているのかもしれない。そこらへんの空気感をあますことなく描いておりました。おお、怖い。

けどな。

芝居の内容はともかく、顔の美醜は重要とは思いつつ、ほんと、当たり前で言い古されたことではありますが、やっぱ、中身でしょってことだよなあ。長く生きていると、それが身にしみてわかる気がする。美人だった友達が必ずしも幸福ではないし、というか、なまじ美人だと、「美人ならなんでもいい」という案外つまらない男にひっかかり、人生を無駄にしたりするのだ。美人好きの男って、美人ならなんでもいいわけだから、当然浮気するし、中身がうすっぺらいか、コンプレックスが強いひとが多いので、結果的に「買い」じゃないような気がする。美人の友人の人生を見渡すとそう思うのです。(嫉妬じゃなくて)。

以前、「美人は損か得か@仕事」というタイトルで似たようなこと書いた記憶があるので、それも含めて、外見がよいと苦労も多いでしょうと思うのでした。

というわけで、刺激的な舞台でした。どーしてあんなにリアルな芝居ができるのだろー。すごいな。

自分も自分の仕事をちゃんとやろうっと。

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