山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ドラマ「Lの世界」その2

昨日の少し続きです。アメリカのドラマ「Lの世界」について。

Lはレズビアンの世界という意味だと思うけど、レズビアンって言葉は、ギリシャにある島から来ているそうな。その島とは、エーゲ海に浮かぶレスボス島(Lesbos島)で、そこの島民のことをレズビアンと言うのが元のようだ。なんでそんなことを知ったかというと、数日前のニュースで、レスボス島の島民たちが、「ギリシャ・ゲイ&レズビアン連合」に対して、レズビアンという名称を外すように訴えを起こしたと報じていたから。レズビアンといえば、女性同性愛者と思っていたけど(世界中で広まっているけど)、島民にしてみれば、「ちがう!」ってことらしい。

そもそも、なぜ、レスボス島民の呼び名が、女性同性愛者の意味になったかというと、この島出身の女性詩人サッホーなるひとが、女性への愛の詩をうたったことに起因しているそうな。島にあるエレソスという町はレズビアン(=女性同性愛者)の観光名所になっているとも聞く。

へえ、そうなんだ。

島民たちが怒る気持ちは少しはわかる。現在のソープランドも、かつては日本ではトルコ風呂と呼ばれていて、本国トルコから異議申し立てを受けたのかどうかわからないけれど、この名称は禁じられたのか、徐々に消えてゆき、今は「ソープ」という言葉が定着した。ので、言葉を変えることはできるのだろうとは思う。

この裁判の結果はまだでていないけど、いろいろ難しいんだろうな。

おっと、「Lの世界」の話を書こうと思っていたのだった。ドラマを見ていると、ひとを好きになることとは、ヘテロだろうがレズビアンだろうが、同じなんだなってことをしみじみ感じるのだが、しかし、本人たち(レズビアンたち…彼女たちは自分らのことを「ビアン」なんて言うらしい。ちょっとかっこいい)にしてみれば、「普通のこと」をしているのに、世間から奇異の目で見られたり、挙げ句差別されたりする可能性があるのだから、たいへんだ。

ドラマのなかのビアンのひとりは、有名なテニスプレーヤーなんだけど、レズビアンであることがばれるとスポンサーがつかなくなるので、レズであることを隠し、公の場所にはゲイの男性をともなって出かけるようにしている。偽のパートナーってわけだ。彼女には、年下のカワイイ女性の恋人がいるのだけど、公の場所に一緒に行けないことで、ふたりの間がぎくしゃくしたりする。本人たちにとって、「当たり前」のことが、世間で受け入れられないというのはつらいだろうと思う。

カミングアウトする…という方法もあると思うけど、そんなに簡単じゃないだろう。現実にスポンサーがつかなくなり、テニスプレーヤーとしての生命を終わりにすることになるかもしれないし。理想論だけでは片づかないよな。

結婚が認められている国も少ないし、レズの道はきびしそうだ。それでも、自分の愛を信じて、生きていく…というのは、かっこいいことだよなあ。

もちろん、「Lの世界」はそういう社会派な視点よりも、恋愛ものとして見たほうが面白いんだけどね。

もっと見たいけど、なかなか続きを借りに行けなくて、残念です。

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