アメリカのテレビドラマ「カシミア・マフィア」面白い!
「Lの世界」「NIP/TUCK」などを教えてくれた、アメリカテレビドラマファン友達から聞いて、ようやく見た。(ちょっと忙しかったのでね)。制作は、「ビバリーヒルズ青春白書」そして「SEX AND THE CITY」を作ったダレン・スターだ。このひとの作るもん、好き。
「カシミア・マフィア」とは、NYに暮らす、富も名声も美貌も持っている四人の女たち、(多分30代後半から40代)のこと。ひとりは化粧品会社の取締役、ひとりは高級ホテルの副社長、ひとりは証券アナリスト、一人は出版社の発行人。四人はMBA取得時代の同窓生だ。セレブだけど、自分の実力でのし上がった成功した女たちだ。
「SATC」の原作者、キャンディス・ブッシュネルの小説に「リップ・ステイックジャングル」というのがあり、ちょっとそれに似ているけど。(ちゃんと調べてないけど、これが原作かもしれない)。
みんな仕事ができて、パワフルで、夫や子供がいるひともいて、美人でおしゃれで完璧だ。わたしが、20代なら、憧れ、絶対こういう女性になろうと思うだろう。今でももちろん、自分の力で成功した女性たちの話は好きだけど、たぶん、これは、去年の経済破綻前のお話だ。今でも、彼女たちは同じように羽振りよく、ブランド服に身を包んで、働いているのだろうか。誰も脱落してない?だって、雑誌はそんなに売れなくなっているはずだし、証券は打撃を受けているだろうし、手放しで喜べはしないけど。
ドラマのなかに、「もうすぐ、大統領も女がやるわよ」というセリフあるし。自分は見損なったけど、NHKスペシャルの「女と男」という回で、500万年だか過ぎると、男は消滅するって言ってたそう。なんか、予感はある。
すでに、草食系男子とかが出没しているし、弱い男が増えている。一方で、出世する女はどんどん上っていく感じはする。女友達でも、私くらいの年齢だと結構、偉くなっていたりするしなー。小気味よくはある。さんざん、これまで男社会に苦い思いをさせられてきたから、(今の若い女子とちがってさー)、ようやく自由に空気が吸えるようになった…感じはする。
しかし、まだまだ、上層部は男ばかりだし、エラソーなオヤジはわんさかいるけど。こういうドラマをみると溜飲が下がるというもの。
が、一方で、手放しで礼賛できない部分もある。彼女たちは、勝者である。勉強して、大学に入り、努力して、MBAをとり、センスも磨き、美貌を保ち、自分たちの力でのし上がったひとたちだ。ちょっと前なら、「女の武器」ってやつを使ったひともいたけど、それだと限界あるってことはたぶん、彼女たちは知り尽くした世代だと思う。なので、彼女たちの成功は正しいし、すごいと思う。
が。
どっかで少し、成功だけがすべてなのか。社会的地位が高いことが一番偉いのか…という気持ちにもなる。(それは、自分がそこまで、「成功のみ」を目指していないからかな。)いや、自分は会社員じゃないけど、物書きとしては成功したいから、願いは同じなんだけどさ。
ううむ。同じ日に山田太一作の「ありふれた奇跡」を見てしまったので、気持ちが引き裂かれるのだ。このドラマでは、社会的にはどこから見ても負け組の男(加瀬亮)が、社会的地位のある男(岸部一徳)から説教を受ける。このシーンの緊張感、すごかった。そして、岸部一徳の言っていることはもっともなんだけど、どっかで、そんなにそっちが正しいのかよ…とも思えてくる。
加瀬亮は、営業という仕事にうまく適応できなかった人間だ。自分の成績の悪さをカバーするために、自腹を切り、借金し、返せず、祖父に肩代わりしてもらったり、仕事に疲れて自殺未遂を起こしたり、うつ病で入院していた履歴もある。負け組のひとってことになる。だからって、全部否定されるんだろうか。
フジテレビの番組サイトで、山田太一氏が、本当に全部自己責任なのか…みたいなことを書かれていた。つまり、彼の現在の不運をすべて彼の責任として問うことが果たして正しいのか…ってことだ。なんか、このニュアンス、すごくよくわかる。
「カシミア・マフィア」の四人は、もちろん、ひとの何倍も努力しただろう。だけど、持って生まれた美貌とか、頭の良さとか、あと運の良さもあっただろう。その積み重ねでものすごい額の収入を得ることができるのだ。普通のひとは絶対稼げない額を。そのことに、「おかしくないか?」と思ってみることもありだと思う。
頑張ったひとが、認められる世界であってほしいのは、もちろんだけど、差が開き過ぎるような構造は、どうなんだろうと思う。誰だって、疲れたり、つまづいたり、ダメな時期はあるんじゃないだろうか。なんか、なんか、そういうことを漠然と思った。
もちろん、自分は、努力家タイプなので、頑張って、結果を出す話が好きだし、基本的に、自分はそうしている。が、今いる自分の場所だって、ずいぶん運に助けられているかもしれない。いや、自分程度はたいしたもんじゃないけど、でも、もっと深い闇いるひとが、必ずしも本人の責任なのかと言い切れないように思う。
そういうことをつらつら考えた。