山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「following」

今週はバタバタと忙しかったなー。

ようやく、今日になって一段落。ってことで、借りたままになっていたDVDを見始めた。

最初の一本は、クリストファー・ノーラン監督のデビュー作「FOLLOWING」。

主人公はロンドンに暮らす、20代の作家志望の青年。作家志望といっても、ほとんど失業者で、孤独で退屈で、なにもしていない男。

この男が、退屈を紛らわせるため…あるいは、小説の題材のため、町で見かけた見知らぬひとたちを、尾行する…followする…ことから、物語が始まる。

モノクロだし、独特の語り口と撮り方でわくわくするような始まりだ。

尾行を楽しんでいた主人公にあるとき、転機が訪れる。尾行していた相手に気づかれてしまうので。ここから一気に主人公は、非日常の世界へ入り込む。

非日常というか、世界の暗部というか、悪の世界というか。

そして、そこで不思議なことが連続して起こり、主人公は、窮地に立たされることになる。

ざっくりこんな内容。

のちのノーラン監督の活躍を予感させる、完成度の高い作品。

けど、ちょっとだけ不満は残る。「フィルム・ノワール」ってくくりで言えば、よくできた作品なのだと思うけど、ひとが悪を行う理由について、わりと普通のような気がする。

ひとはなんのために、「悪事」を働くのか。

その理由が、「お金がほしい」「女のため」…みたいなことって、それがわかった途端に、がっかりする。もう、何度も見て来たよ…って思ってしまう。

いや、もちろん、ひとが悪事を働くほとんどの理由が、事実として、「お金」や「女(男)」なんだろうけど、物語としては、それはさんざん描かれてきたので、新鮮味がないんだ。

そこいくと、数週間前に見た、向井理主演の「ザ・シェイプ・オブ・シングス」のオチは新鮮だったなー。

ああいうオチに、しびれる。

…話がそれたけど。

しかし、デビュー作でこれだけ完成度が高いのは、さすが、クリストファー・ノーランだと思った。

処女作にすべてがあらわれてるって誰かが言ってたもんね。

小説も映画ももう、処女作は作っちゃったけど、私の場合。

まあ、どっちも自分らしいし、好きだからいいや。

ようやく、自分の時間が戻って来て、うれしい。

これから、少しずつ、回復する。