山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

記念日って大切?

記念日って案外、大切かも知れない…と急に思った。

よく、女子は記念日が好きだ…なんて言う。つきあいだした記念日とかクリスマスとか誕生日とか結婚記念日とか、たいてい、男子は忘れ、それに対して女子は怒る…なんてことがよくコラムに書かれたり、ドラマになったりする。

どちらかというと、自分は、記念日こだわらない派だったけど、さっき、テレビドラマ「ER」を久しぶりに見て思ったのだ。記念日っていいんじゃないか…って。

「ER]のドラマの設定が、感謝祭の日だった。感謝祭の日を舞台にして、ERの患者と医師の様子が描かれる。感謝祭っていうのは、アメリカとカナダの風習(伝統?)のひとつで、家族で七面鳥を食べるってことになっているようだ。(その真に意味するところはともかく、家族で七面鳥食べるってことが大切にされているらしい)。

そんな日でも、事故は起こるし、病人も出る。迎え撃つ医者たちにも家族がいて、感謝祭なのに、仕事で家に帰れなかったりする。

感謝祭の料理でアレルギーを起こす人、感謝祭に家に帰ろうとして、バスで事故に会うひと、いろいろだ。その日に亡くなるひともいれば、助かる場合もあって、ERの医師たちは、へとへとになって対処して、そして、夜を迎える。

それぞれが、やっと家路につき、それぞれの家族と食卓を囲む…という結末には、なっていなかった。女性医師の夫が、家に帰ってこられない妻のために、料理をして、病院に持ってくる。それを、仕事を終えた医師たちが、囲むのだ。医師だけじゃなくて、その恋人や家族も混じって。

これがラストシーンだった。自分には、それは、「感謝祭は家族とじゃなくても、生きてる喜びを分かち合える人たちと、一緒にご飯を食べられたらいいよね。七面鳥じゃなくてもさ」と言っているように見えた。なんかよかった。

記念日の意味を考え直して、でも、その良さも味わう…ように見えて。

感謝祭は、家族で集まって、七面鳥を食べる日ってことにこだわりすぎて、形式化するのじゃなくて、家族じゃなくても、七面鳥じゃなくても、「生き延びておめでとう」って言えたらいいさ…みたいなこと。

記念日の意味を問い直す意味でも、記念日が必要っていう、パラドックスみたいなことだけど。

ひとには「理想」が必要なんだって思う。たとえ、実現できなくても、「こうあるべき」って理想を持っていたいと思うのだ。

だから、結婚記念日には、豪華なレストランでプレゼントをしあうってことがなくても、こんなに長く一緒にいたのだな、と考えるきっかけになり、夫婦の関係を洗い直すことができたら、それでいいような気がする。って、結婚してないけどさ。

記念日というか、きっかけがないと、ずるずると日常が続いていき、だれるというか、なんかよくないように思うのだった。休肝日とか交通安全週間とかね。

いえ、自分など、フリーランスなので、ほっておくと、ほぼ、なんの縛りもない暮らしなので、たまには、そういうけじめが必要かと思いまして。

サラリーマンの方は、給料日とかあるでしょう。そういうのがあると、一ヶ月たった…という感覚があるでしょう。それが大切のような。

あれ?そうでもないのかな。自分があまりに、とりとめのない日々を送っているので、そう思うだけ?

もはや、何時に起きても自由だし、何時にご飯食べても自由だし…という暮らしだからでしょうか。それとも「ER]がよくできていたから、感化されただけかな。

午前四時から、仕事をしようとしている自分だからか。

明日はドイツに向けて出発でごんす。