山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

同じ空を見ていた。

とてもとても寒い夜。

小雪ちらつく新橋のしぶ~いちゃんこ鍋屋にて、大学の時の友達4人と飲む。
みなさん、いっぱしの社会人で、それなりの地位にある。
セビロ三人、ジーンズのひと2名(うち一人は私)。

大学の時、一緒に映画をつくっていた友達なので、最初は「最近みた映画」の話になるけど、これがなかなか、みんな見ている共通の映画がない。見てないと話せないから、ひとつのテーマがそんなに続かない。

自分以外はみんな男だけど、編集者ふたり、広告代理店ひとり、経営コンサルタントひとり、という面々。さらに、離婚してたり、子どもがいるひともいれば、未だに独身のひともいる。要するに、みんなに共通するテーマなんて、もう、ひとつもない。

でもさ。
ほんとはある。それは、利害関係でつながっていない、ということだ。
これは実はとてもとても貴重なことなのだ。

自分くらいの年齢になってくると、どうしても仕事がらみの会食が多い。それはそれでいいんだけど、やっぱり、気を使うし、つながりの底には「仕事」があるから、仕事が終わってしまったら、わざわざ会わないかもしれない。

負けおしみではなく、お金で友達は買えない。
だから、共通のテーマがなくても、話せて笑えたら、それで充分だなーと思うのである。

欲が少なくなったのかもしれないけど、なんかさー、もう、みなさんがそこにいるだけでいいよ、ありがたいよ、という殊勝な気持ちになる。

松任谷由実の曲に「悲しいほどお天気」という曲がある。
同じ美大で、同じように画家をめざしていた友達同士。だけど、みんなが画家になれるわけじゃない。
普通の人生を選んだ主人公は、当時の友達から届いた個展の案内を見て、思うのだ。
あの頃は、同じ空を見ていたんだなって。

でも、本当は当時から同じ空を見ていたわけではないかもしれない。
でも、「同じ空を見ていた」と思える瞬間があれば、それはそれでいいことなのだ、と思う。

もう、それで充分。

寒い寒い夜にそんなことを考えながら、終電の地下鉄で帰ってきた。