山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

かわいいは、美味しいに勝つ。

久しぶりに、テレビを見ていたら、狂牛病のことをやっていた。

たくさん並んだ牛の死骸(っていうか、出荷前の牛肉)を見て、なんだか、気の毒だなあと思った。
牛って、殺されて食べられるために生まれてくるんだよなあと。

と、今更、肉食を反省している・・と書きたいわけではない。(いや、多少の罪悪感はあるけど)
そうじゃなくて。
昨年、韓国に行った時のことである。ご存じのように、韓国では、犬も食べる。
韓国のひとに伺ったら、犬の肉は高級料理とのことであった。

犬の肉はたいへんおいしく、しかも、犬のように元気になると言われているらしい。
なるほど。

犬というのは、いにしえから、人にもっとも近い動物だった。頭もいいし、いうこともよく聞くから、その肉が美味しいのであれば、食用としてもっと広まってもよかったのではないか。繁殖もしやすいし、賢い分だけ、世話も楽である。その上、美味しく、健康にもよいとしたら、この強欲な人間が犬を利用しないはずはない。

しかし、犬はほとんどの地域で、食用にはならなかった。
(韓国だって、メインで犬を食べているわけでは全然ない)

そこで、私は考えるのである。
それはもう、簡単なことだ。犬はかわいいから、食べられなかったのだ。
こんなに身近でも、食欲を刺激されずに来たのだ。それはもう、犬はかわいく、愛してしまう対象だからだ。ひとは愛するものを食べたりしない。(別の観点で食べる人もいるけど)


つまり、かわいいは、美味しいに勝つのだ。

そんなことを考えながら、うちの愛らしきものたちを見る。
いやあ、相変わらずかわいい。
自分が餓死しても、食べないよなあ。
あっちが餓死しそうで、私を食べてくれてもいいけど。

と、暇になったので、このようなことを考えておりました。