山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自由なひとって。

渋谷で、映画「サイドカーに犬」を見る。

竹内結子扮する、洋子さんは、主人公の小学生、薫(♀)から見たら、とても自由なひとだ。カレーライス用のお皿にチョコレートを盛ったり、自転車のサドルが盗まれたら、隣の自転車からサドルを盗み返す。身体に悪いと言われても、子供にコーラを買い与えるし、タバコはところかまわず吸い、いやなことがあったら、「夏休み!」と宣言して、なんの予約もしないでふらりと海に出かける。

海辺では、素手で貝をとり、アイスクリーム売りのおじさんについていき、一晩泊めてもらったりする。このような振る舞いは、普通の大人ー親や先生などは決してせず、「やってはいけません」と言われることばかりだ。だから、子供の目からは洋子さんはとても自由に見える。

が、果たして洋子さんは本当に自由だったのだろうか。大人になれば、わかることだけど、カレーのお皿にチョコレートを盛ったり、いきなり海に出かける程度の自由は、実は誰もが持っているし、実行可能だ。やらないのは、ひとつは趣味の問題(カレーのお皿にいれるより、別のお皿のほうが感じがいい・・)、もうひとつは、時間と労力の問題だろう。ふらりと海に行かないのは、(行ったことあるけど)、予約して行かなかった分、ホテル探しに時間や労力がとられて、肝心の海を楽しめないからである。ふらりと行く楽しさをあえて味わおうというなら、それでいいし、そのくらいの自由は実は、ハードルの低い自由のように思う。

じゃあ、本当の自由ってなにさ?と問われても、うまくいえないけど、カレーのお皿にチョコレートを載せることではないだろうなあ。「カモメ食堂」の続編の「めがね」のパンフレットには、「自由がなにかを知っている」と書いてあった。沖縄が舞台の映画である。一見、沖縄って自由に見える。東京から行くと、自然が美しいし、ひとびとは優しいし、海はきれいだから、気持ちが解放されて、自由な気分になる。けど、それと自由はちがうだろうなあ。

都会からきたひとが、一方的に、沖縄を癒しの場所としてとらえるのってなんか、あんまり好きじゃない。そこに、日常生活をしているひとがいるのだから。植民地主義みたいなことを思い出してしまうのだ。

そんなわけで、「自由ってなんだっけ」と思いました。しかし、カレーのお皿にチョコレートを盛る程度の逸脱で、気分が解放されるのなら、それもいいのかな。自分もときどき、そのような、「小さな自由」をやってるかもしれない。あるいは、普段からかなり自由度は高いかもなあ。海に発作的に行くことなど、すでに、自由の範疇に入ってなくて、日常だしな。まあ、いいか、これで。