山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「20歳のときに知っておきたかったこと」

今日は、「20歳の時に知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」という本を読んでいました。

数日前に、アマゾンから届いたんですが、なんで、この本を注文したか、すでに忘れてました。きっと、どこかで書評などを読み、読みたくなって注文したんだと思います。

そして、その動機を思い出すこともできないのですが、「20歳のときに知っておきたかったこと」というタイトルに初めてみたいに惹かれました…たぶん、前にもタイトルにひかれたんじゃないかな。

20歳はもうずっと前だけど、そのときに知っておきたかったことってなんだろう…20歳、青春…などなど、甘酸っぱい気持ちになります。

が。

内容はそんな甘っちょろいものではありません。大学の講義といっても、詩や文学の講義ではなく、起業家を目指す学生のための、「どうやって、この世界で成功していくか」に関する講義だからです。最初の授業では、「たった5$を2時間でできるだけ増やすにはどうしたらいいか」という問題が出されます。

学生たちはいくつかのグループに分かれて、「5ドルを増やす方法」を考え、実践し、発表するのです。ここで大切なのは、結果である、「お金」ではなく、「発想法」です。どんな方法を使えば、五ドルを効率的に増やすことができるか…について、とことん考えるからです。

とても、興味深く面白いです。発想の訓練といいますか。けれども。

まだ、この本を読み終わっていないので、わからないですが、ちょっとだけ違和感があります。「成功」「発想」みたいなことに、立ち止まってしまう部分があるからです。

今は不況なので、いろんなところで、不況からの脱出方法について語られています。いつも読んでいるchikirinさんのブログにも、書いてありました。

「車が売れないのは、若者の車離れが始まっているから」

確かに。

「お客さんが本当に欲しいものを提供していないから売れないのだ」という言葉もありました。

確かに。

その流れのなかに、本が売れないと嘆く出版社…というのもあり、自分も本を書いたりしているので、痛い指摘だなとは思いました。

けれども。どーも、こういう論法にひっかかってしまいます。つまり、お客さんのニーズに合わせた本や映画を作るべきであって、自分たちが作りたいものを作っていてもしかたないんじゃない?…という風に聞こえます。

あと、「売れる」ことがやっぱりすべてなんだろうか…、たくさんのひとに認められないと意味ないの?と思ってしまいます。もちろん、売れることにこしたことはないんですけど、そればっかりで測っても、限界があるのではないかと思う。

映画業界も出版業界も、今は、危機的な状況にあって、そんなこと言ってられないのは、わかっているのですが、「売れる」というものさしだけで、このまま進んでいって、いいのかしら。

自分はテレビ業界で仕事をしているので、視聴率が命の民放の番組では、その使命に従って仕事してます。お客さんを逃がさない努力もしてる、そのための飛び道具も使う。その結果、一応、それなりの結果も出しています。わかってるよ。

でもでも。

企業がお客さんを選んだら、お終い…なのか。そこらへんです。友人の映画プロデューサーは、「映画を見ながら、ツイッターするなんて、絶対許せない。映画は映画館の暗闇のなかで見られてこそであり、それほど、特権的なものなのだ」と主張します。わかります。

一方で、ツイッターやりながらでも見てもらわないと、終わってしまう危機的状況もわかる。

結局、自分、どっちつかずなんですけど、「ほーら、こうしたら、こんなに儲かった」ってことだけに、喜べない部分があって、自分でも面倒くさいんですけど、ゆらゆらしています。

まとまらなかった。

この本を最後まで読んでまた書こうと思います。