地震5日目。
報道部門でない自分は、とりあえず、暇。
いくつか打ち合わせがあったり、ちょっと書いたドラマのロケが行われているようだけど、基本、暇です。
家にいて、テレビとツイッターを見ながら、本読んだり。
それで、ツイッターを見ていると、「自分にできることをしよう」というような励ましの文章にぶつかる。
ミュージシャンは歌を歌い、お笑いのひとはひと笑わせ、漫画家は漫画を書く…のようなものです。
これはこれで素晴らしいです。
しかし、おのれのように、歌も歌えず(ヘタ)、踊りも踊れず(ヘタ)、漫画も描けず(ヘタ)、ひとびとを励ましたり、あたたかい気持ちにさせるような立派な文章も書けず(基本、悲観的)、特に「自分がやるべきこと」が見つからないひとも多いのではないでしょうか。
そういうとき、「自分のできることをしよう」という一見、前向きな提案は、「自分にできることなんてないし…」というひとを追い込むような気がする。
ますます、暗い気持ちにさせたりします。
現在は、非常時です。
非常時こそ、自分にできることをしよう…というのは、わかる。
が、日常時だって、「自分にしかできないこと」なんて、ほとんどない。誰とでも代替可能な仕事をしている。それが非常時に、急にアップするはずないのでは…と思う。
いえいえ、そんなことはない。
クリエーターには、そのクリエーターにしか作れない作品がある!…という希望もあります。わかります。自分しか書けない…という気持ちがあるから、やっている部分もあると思う。
けれども、それをあんまり強調するのもなんですよね。
それほどのものか…と。おのれに言っているんですが。
非常時も日常も、おのれは代替可能なものである…自分しかできなことなんてないです…という気持ちもアリなのではないかと、今更思っています。
非常時だからこそ、超前向き発言が増えると、マイナス志向のひとは、「とりあえず、邪魔になっているようだから、自分にできることは、消えて人数減らすことかな」と考えちゃうんじゃないかと、ふと、思った次第です。
…と書いていたら、明日の打ち合わせが中止になった…という電話連絡。
そうなんです。焦って、作らないといけないものではないわけです。
とりあえず、自分にできる今、精一杯のことは……
電気を使わない
買い物に行かない
…くらいかな。
つまり、「できること」ではなく、「やらないこと」ですね。
じっとしてろよ、無力なんだから…。はい。
でも、犬は助けたいなー、自分でできる範囲で…という気持ちは空回りしています。
「犬」ってところが、エゴですね。自分の好みです。すみません。