そんなわけで、先日、枡野プロデュースで試写した映画「ブルーバレンタイン」の感想をやっと書きます。
テーマは驚くほど、シンプル。ひとつの夫婦の始まりと終わり。
ひとりの男とひとりの女が出会って、恋をして、結婚する。
それはふたりにとってはドラマチックだとしても、それだけで、映画を作るには、時代は複雑になりすぎている。
また、ひとつの結婚の終わりを描くとしても、それだけで魅せるには、かなりのテクニックがいる。
が。
そのふたつを同時に撮ってしまったら…?
この映画の一番の魅力はその構成にあると思う。
一組のカップルの誕生と破滅がカットバックしていくのだ。最初、見ているうちは、「あれ?」ってなるけど、途中から、「あーそうか、そういう仕組みなのね」と理解できる。
劇団「ハイバイ」や「五反田団」などでも現在と過去が行き来するのを見慣れているので、慣れると理解は早い。
それに、現在と過去、不幸と幸せ、恋愛の始まりと終わりの描き分けが、かなり意識して行われているので、わかりやすい。
出会ったばかりの二人は、外見も若々しいし、表情も豊かだし、服装から、音楽からすべてが輝いて映っている。
一方、破綻に向かう二人は、画面も息苦しいほど狭いし、外見はもちろんクタクタに疲れているし、画質もちがう。
(パンフレットを読んだら、過去はスーパー16(フィルム)で手持ち、現在は、レッド(ハイビジョンの高感度なカメラ)で撮っていると書いてあった、すげえ意図的!
つまり、16ミリフィルムで撮るってことは、ハイビジョンのカメラにくらべて、全体が甘くなる。フォーカスにしろ、光にしろ。ハイビジョンカメラは残酷なほど、女優の肌の毛穴まで撮す。超リアルなんである)
ゆえに、対比が鮮やかである。
その映像手腕は、ちょっとしたミュージックビデオのよう。恋の甘さと破滅の苦さが、くっきりと描かれる。
個人的には、「ダメ男」とされている夫のほう( ライアン・ゴスリング)がめちゃ、かっこいいと思った。ハンサムでやさしくて、先のことなにも考えてないで、妻と子供がいたら、幸せ。悲しいと泣いて、ダンス踊って、ビール飲んで寝ちゃおう…ってひと。なんて魅力的なんでしょう…。
なので、なぜ、この夫が妻から棄てられそうになるのか、ちーともわからなかった。自分なら、絶対「買い」です。
しかし、まあ、妻の言い分もわかるといえばわかる。このひとは、上昇志向のあるひとなんだ、たぶん。でもさー、自分も上昇志向そこそこあるけど、それを相手に求めるひとはあんましなーと思う。自分で稼げばいいじゃないか、お金なんてさーと思う。
もう少しまじめな視点に戻すとして…。
この映画が魅せてしまったのは、「恋愛」のはかなさ。あれほど、輝いていても、こんなに壊れやすいんですよーということを、いやってほど見せてしまう。
愛があれば大丈夫、とか、永遠に君を愛す…なんて言葉を信じるとろくなもんじゃねーよということを教えてくれる。
でも、一方で、そんな破滅があるとしても、恋の始まりの美しさや楽しさは決して損なわれないものだ…ということも教えてくれるのだ。
お見事な構成である。
先日のトークでは、「男と女はなぜ、すれちがう」という視点で行われたけど、冷静に考えると、この映画は、これまでの「男と女」の立場が微妙に逆転していることを見せているとも思う。
なぜなら、夫は、家族が一番大事だと思い、自分の仕事はそこそこできればいいと思っている。家族にとって悲しい事件が起きたら、仕事なんて、ほっておいて、「悲しみ」にひたりたい。そのために、妻をさそって、出かけようとする。
これって、かつては、「妻」のやりそうなことでしょ?
「私と仕事とどっちが大事なの?」という質問は、妻(女)がするものとされていた。そして、ふたりの間で悲しい事件が起こったとき(映画をまだ見ていないひとのために、書きませんが、悲しい事件が起こったことで、亀裂が始まります)、妻は、夫に、「悲しいから、一緒にどっか行こう」とか言うんじゃないの。おいしいもの食べにいこうとか、温泉行こうとか…。
で、それに対して、夫が、「悲しいのはわかるけど、明日、仕事早いし、やっと重要な部署についたところなんだから、勘弁してくれよー」となったのではないか。
で、妻のほうは、「なんて冷たい夫かしら」と思い、夫は、「面倒な女だね」と思う…というのが、定番だったのではないか。
ところが、この映画では、行動が逆。妻のほうは、仕事熱心だし、忙しい。夫のほうは、仕事は適当だし、暇だし、家族の行事を大事にする。
ほら、逆転しているでしょう?
なので、「男ってこう…」「女ってさー」とひとくくりでは言い難いと思うのだった。
すでに「男女の差」だけで、物語を語れる時代は過ぎてしまったのではないか。
…トークの時、面白いなーと思った意見をいくつか。
まず、藤井良樹(ルポライター)さんの意見が面白かった。
「ひとは何歳になると、「年をとった」と感じるか…というアンケートで、女は、29歳、というのが多く、男は、59歳だという。
つまり、女は30を前にして、「年取ったー」と思うのに対して、男は、男ってやつは、60歳を目前にしないと年をとったと感じないのである」
これ、面白い!と思った。確かに、自分は50歳のくせに、「女は35までだよなー」とか平然というオヤジがいるからねー。
で、藤井さん曰く、なので、この夫は、自分が年をとったとまるで理解していない。妻は「いい加減、年なんだから、しっかりしてよ」と苛ついていく…と説明していた。
なーるほど!と思いました。
自分では「俺って、いつまでも少年のよう」と思っていても、まわりからは、「おっさん、勘違い」としか思われないという悲劇だ。
(…とはいえ、自分は、この夫、禿てもかっけーと思ったのですが…笑)。
それともうひとつは、漫画家の古泉智浩さんの意見。(意見っていうのかわからないけど)。
「自分は性欲はあるが、恋愛に興味がない」というもの。
これ、別の場所で、別の男性からも聞いたことのある意見だけど、「それもアリ」だと思った。というか、ほとんどのひとが、そうなんじゃないだろうか。男も女も。本当に恋愛に興味あるひとって実はそんなにいないと思っている。
女の場合でもね。
ということで、随分、前のことのように思うけど、やっと書けてすっきりした。
昨日は、「わたしを離さないで」という映画を見ました。うーへんな映画だった。それと、先日、「キッズ・オールライト」という映画のパンフレットに文章を書かせてもらいました。
これらの映画については、おって、ここで書きます。
「キッズ・オールライト」は、あの、「Lの世界」の監督の、とてもよい作品だった。あらためて、書きます。