山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

感情にも流行がある。

福井、金沢へロケに出ておりまして、日記をさぼっておりました。

ロケの内容とはあまり関係のないですが、最近感じたことについて書きます。

いまの若い人々はあまり恋愛に関心がなく、実際、恋人がいる人が少ないといいます。

自分の若かりし頃は、それはもう、青春といえば、恋愛とこたえるほど、恋愛がファーストプライオリティでした。

自分もその流行にならって生きてきました。

で。

今はそうじゃないらしい。

とにかく、今のひとびとは、「自分が一番大事」で「自分が一番大切」なので、たとえ恋人でも自分以外のひとのために、なにかを賭けるとか、身を挺することに抵抗があるようでございます。

20代の女子がですね、「絶対、遊ばれたくない」と言っているのを聞いて、なんだか、「はっ!」としたわけです。

かけがえのない自分が傷ついたり、損したり、痛い目に合うのだけは、絶対避けたい。そのためには、リスクの大きい恋愛などに近づかなくてもいい…と思っているようでした。

そうか、そうかもしれない。

実際、恋愛は自分以外のひとと、それまで誰にも侵入させなかった領域までかかわることです。気持ち的にも肉体的にも。

相手は他人だから考えていることもわからないし、何をしてくるかもわからない。楽しいこともあるだろうけど、痛い目に合う確率も高い。

だったら、一時の感情に流されて、恋愛なんかするより、ひとりでゲームしたり、アニメ見たり、時々友だちと盛り上がったりしているほうがいいかもしれない。

アニメのヒロイン、ヒーローやアイドルを好きでいる限り、絶対傷つかない。アイドルを好きになったのは自分であり、つまり、それは自分の選択の結果なので、アイドルからフラれることはない。

自分がやめない限り、アイドルや二次元のヒロインとの恋愛は終わらない。

これほど、安全な恋はないでしょう。

昔のSF映画では未来のSEXマシーンみたいなものが登場した。それは、チューブ型になっていて、中に入ると、快感を得られるとか、脳に直接刺激を与えて、理想の相手と脳内で恋愛するとか、そういうのがあったけど、案外、それが実現しているようでもある。

ゲームとアニメとかのおかげで。

そういう架空の恋というか、生身の人間以外との恋、「萌え」とか言ってもいいけど、それを「よし」とする感情が結構、メジャーになりつつある。

それもありじゃないか、って感じで。

だから、感情にも流行があるんだなーとしみじみ思う。

「娘を嫁に出すとき、父親は泣く」というひとつのスタイルも戦後のあるドラマのワンシーンの流行によって生まれたらしい。それまでは、「花嫁の父」は特別の一定の感情をもつものとされていなかった。

これなど、メディアが生んだ感情ということになる。

もちろん、流行する…ということは、それが多くのひとに、なぜかわからないけど、受け入れられる、賛同されるという側面があるからだ。

その流れでいくと、今は、恋愛しない…という空気が世界を覆っているのかもしれない。

いえ、感情の流行について、考えてみたかったのでした。

だから、どーってわけでもないのですが。

このまま、4月末まで忙しいので、ブログが飛び飛びになりそうで、心配です。

では、また。