「負け犬」という言葉にもカテゴリーにも興味を持っていなかったけど、先日、「負け犬小説」として拙著が取り上げられたので、ちょっと考えた。
どうして、そんな言葉がこれだけ広まったのだろうかと。
私が想像するに、これは主に30~40代のサラリーマンで、妻は専業主婦、子供あり、の男性のやっかみから始まったんじゃないだろうか。
仕事をする女性が増えたおかげで、彼らの周りにはいずれ「負け犬」と呼ばれることになる女性がウヨウヨいた。彼女達は、「負け犬」と命名される前には、仕事もできて、そこそこお金も稼ぎ、おまけに女性としても魅力があるため、おしゃれな服を着て、おいしいレストランに通い、休みには海外旅行に行く、という同世代のサラリーマンから見たら、とてもうらやましい存在だった。
一方、彼らは(専業主婦の妻と子供ありの男)、ローンに追われ、子供の教育費に追われ、妻から渡される小遣いもわずかで、なんの楽しみもない、苦しい日々を送っていたのだ。おまけに、そんな女達に仕事でも重要なポストをとられたり、ちょっとふらっとして、誘いをかけたら、セクハラ?とにらまれたり、いいこと全然ない。
そこで、彼らはつぶやくわけだ。
「おまえらなあ、そんな蝶よ花よと楽しそうにやってられるのも、今だけだぞ。
結婚もしない、子供もいないおまえらに未来はないんだぞ。今にひどいめにあうんだからな」
これは、専業主婦である彼の妻の気分とも一致する。
「そうよ、そうよ。いいとこだけとっちゃって。さみしい老後が待ってるんだからね」
さらに、接客業・風俗嬢その他の女性からも冷たい視線が。
「あたしたちはさあ、日陰の身つうか、妻子持ちのおやじとか、疲れたリーマンをいただくことで、ごはん食べてんのよ。なのに、なんで、シロウトのあんたたちが最近、あたしたちの縄張りおかしてんのよ」
注)30代で未婚でお仕事している女性の不倫率ってものすごく高いですから。知人の風俗関係者は嘆いていました。最近は、シロウトに客もってかれる、と。
そんなわけで、このような潜在的な嫉妬と憎しみが、いつしか、彼女達に向けられ、その視線に気づいた彼女達は、自ら『負け犬」と名乗ることで、彼らの憎しみを回避したのではあるまいか。
(考えすぎ?)
知り合いの女性ジャーナリスト(既婚・子あり・40代)は言っていた。
『負け犬って、史上初の自由で最強の女性たちなんだよ」と。
ゆえに、憎まれつつも、注目されるのだ。
ふむ。
しかし、だからこそ、負け犬の結末はまだ誰も知らない。
そして、前出の疲れたリーマンや専業主婦や接客業のお姉さまたちが望むべく、不幸で寂しい老後ではなく、「あれよ」とばかりの光り輝く未来を生きていってほしい。
そして、後に続くひとたちに、「な~んも怖くないよ」と言ってあげてほしい。
そんなことを考えたのだった。