山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

モテるか、モテないか。

昨晩、「野ブタ。をプロデュース」という今回の芥川賞候補にもなっている小説を読んだ。
(詳しくは、ブックレビューへどうぞ)

で、思ったけど、小説って、もてるひとが主人公の場合と、もてないひとが主人公の場合にざっくり分けることができるよね。
(ざっくり、あくまで、ざっくりね)

「野ブタ。」は完全にモテる男子が主人公なわけ。
同じ「白」で始まる(って名字のことだけど)、白石一文さんなんかもコレね。
ああ、もちろん、渡辺淳一先生なども。

テーマは、モテるけど、なんか、不幸ってこと。
いろいろ女がよってくるけど、だけど、俺の空白は満たされないぞ!って叫びが
主に描かれているわけ。

もちろん、女性の場合もあって、江國香織先生なども、このカテゴリーに入る。

理解のある夫もいて、若くてハンサムな愛人もいるけど、
なんだか、せつないの、アタシって感じ。

一方、
モテない場合は、女にはフラれるし、そのうえ、ひでえ目にあって、俺ってサイテーってことになる。
代表的なのはなんだろ、佐藤正午さんの「ジャンプ」とか、女性なら、初期の林真理子大先生の作品など。(林先生の近作は、モテキャラが増えつつあるし)
唐突ですけど、ドストエフスキーさんもこっちね。

で、どっちにしろ、不幸なわけだから、その不幸を抱えて、どうしましょうっていうのを
描くわけですね。

で、どうなんだろう。
読者つうのは、どっちの主人公がお好みなのかなあ。
普通に考えると、「モテる」ひとより、「モテナイ」人の方が、数においては勝っていようから、「モテない」ひとを主人公にしたほうが、読者のシンパシーを得られ、結果、本がよく読まれることになりそうなんだけど、しっかし、そうでもないんだよなあ。

少女漫画の王道は、あんまし可愛くないコが、努力と運命のいたずらで、かっこいい男を獲得して行くのが、長い間の人気ストーリーだったけど、小説って、どうなの?

個人的にはね、もてないひとが主人公のほうが好きですね。
っていうか、もてるひとが主人公で、余裕かましてると、っち、なんだよ、コイツって気分になるからですね。
(嫉妬かひがみ?) しかし、もてるひとの話を書くのもなかなか楽しいかもしれないな。

想像のなかで、好き勝手できるわけだし。
読み手もそうかな。
小説のなかで、もてキャラになってみる。
女なんて(男なんて)ばったばった、斬って捨てる。

ふうむ。

けど、どっか、どうでもいいような気もしてきた。
不特定多数にもてるより、気に入ったひとだけに好かれていれば、それでいいわけだし。

すみません、まとまりませんでした。