山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

年とともに自由になる。

同じ年の女友達から手紙が来た。
彼女は二児の母で、専業主婦である。
手紙のなかに、「あなたの小説をまだ読んでない」とあった。
彼女が言いたかったことは、読むと、もしかしたら、不快に思うかもしれず、
すると、友情にひびがはいるので、できれば読まずにおきたい、ということだと思う。

こういう気持ちはよくわかるし、想像できる。
主婦のなかには、不倫がでてくる物語を嫌うひとが結構いる。
立場上、当然といえば当然だと思うけれど、その手のテーマのドラマや小説に触れると気分が悪くなると言う。
たぶん、彼女たちも、もっと若い頃は自由で、どんな恋愛ドラマも楽しんでみることができたんだと思う。
つまり、年齢と経験を重ねることで、不自由になった、といえるかもしれない。

私は子供がいないからわからないけど、子供のいる女性たちは、子供が殺されたり、ひどい目に遭う物語は、見たくないし、見れないという。

若い頃はまだ、自分の立場がはっきりしていないから、特定のなにかを嫌ったり、過剰に思い入れたりしないですむ。
何ものでもないかわりに、何ものにもなれるから。

だけど、年を重ねて行くとそうはいかなくなる。
自分の今のありようと未来が見通せるようになってくると、だんだん余裕がなくなる。

すると、若いときとは別の方向で「傷付きやすく」なるかもしれない。
自分のことではなくても、不倫ドラマを見ると、楽しんでなどいられず、
癌の闘病記を読むと怖くて眠れなくなる。
リストラはひと事じゃないし・・など。

物語が即、自分にはねかえってしまうから、自分とは遠いお話か、安全なお話にしか近付けなくなる。

前に、突然まぎれこんできた主婦の集団をおどかすために、知り合いの店をにわかホストクラブにしたてことがあった。
あの時、主婦のみなさんはとても傷付いた顔をしていた。
できれば、触れたくないもの、避けていたものに、強引に触れさせられたという感じ。

今思うと少し申し訳ないけど、そうやって自分のまわりに心地よいもの、きれいなものばかりを集めて、なるべく、傷付かないように生きるのってどうなのかな。
ずっとその安全な場所から出ないなら、傷付くこともないだろうけど、多分、人生はそう甘くない。

私も傷付くのはもう、こりごりだけど、それでも、見知らぬものから目をそらさないで
なんでも見ていきたいなあ。
いろんなひとと話せるようでありたいなあ。

そして、年とともにもっと自由になれたらいいと思う。