山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

心は体にあらわれる。

深夜、仕事が終わって、表参道近辺の居酒屋にいく。
日曜日の深夜に営業している店は少なく、開いている店にふらっと入った。

その店はまだできてそれほどたっていない様子の、青山らしいこじゃれた和食やだった。
日本中のおいしいものを集めました、とメニューにあり、内容は和風創作料理といった感じ。

青山あたりのこじゃれた和食やで、創作料理ときたら、たいてい味は期待できない。
見た目の工夫や物珍しさはあるにせよ、料理としておいしい店に出会ったことはない。
けれどもデートや若い女性の多いこの界隈、案外、味で頑張らなくても生き延びるものである。

さて。
味は予想通り、「なにがやりたかったの?」という程度のものだった。
まずくはないけど、もう一度食べたいというものはなにひとつなかった。
これだけであったら、「よくある美味しくないこじゃれた店」としてすぐに忘れただろう。

だが、この店には「よくある店」にはないものがひとつだけあった。
それは、カウンターの奥で料理をしていた、ひとりの板前さんである。
年の頃40代の半ば、角刈りで、白い割烹着をつけ、ていねいに料理を作っている。

時々、出来上がった料理をカウンターにいる私たちに自ら運んでくる。
そのとき、なんともいえないたたずまいがあった。
「どうぞ」という声になにかがこもっていた。
お茶が足りなければ、さっとつぎ足してくれた。
料理をしている間も、こちらの反応を気にしているそぶりがある。

その姿は真摯で好感がもてた。
この店に心血を注いている感じが、そこはかとなく伝わってくるのである。

彼のたたずまいに興味を覚えながら店をでた。
すると、店の前に、店を紹介する記事が貼ってあった。
どこかの雑誌にとりあげられた記事だった。

彼は、関西の居酒屋グループの出身で、そのチェーン店で取締役まで登り詰めていた。
しかし、昨年退社し、自ら会社を起こし、初めて、自分の店をもったのである。
それが、その店だった。

そっか。
20年近く勤めた会社をやめて、満を持して開いた店だったのだ。
彼の気合いの理由がわかったように思った。

残念ながら、彼の気合い通りには店はできあがっていなかった。
店に戻って、どこが悪いかアドバイスしたい気持ちになった。
チェーン店で成功したからといって、同じノウハウでは青山の店は無理なのではないか。
それは、テレビドラマの監督が映画を撮るようなもんだ。
と、ここでフト思う。
もしかしたらそれはそれでいいのか。
テレビドラマみたいな映画が増えて、昔ながらの映画好きの私はうんざりしてたけど
案外、多くのひとはすでにテレビドラマみたいな映画が見たいのかもしれない。
じゃ、居酒屋チェーンみたいな、和食屋があってもいいのか・・。

そんなことはともかく、20年のキャリアとあの真摯さでやってきたひとだ。
今の店が正解であろうと、間違いであろうと、
きっと自分で道を開いていくだろうし、いってほしいと思った。

ひとの気合いは気配にでる。
そして、それは多分、ひとを動かす。

料理はいまいちだったけど、別のことを教えてもらったように思う。
居ずまいを正そう。