例えば、ショービジネスで、「世界進出」といえば、
アメリカでデビューすることを意味する。
「世界で認められた実力」といえば、アメリカで成功することだ。
世界とはアメリカのことである、とはよく言われることである。
ところで、もっと狭い意味で別のベクトルで見ると
「世界とはおやじである」と言える。
どんな仕事、どんな業界で働いても、かならず上層部というのは
おやじが握っていて、そこには女性は入れない。
ほんのわずか、少数点ゼロゼロワンのパーセントで女性がいたとしても
そのうちのほとんどは、「脳内おやじ」だったりする。
成功するためには、魂をおやじ化しないといけない。
魂のおやじ化とは、おやじのように考え、おやじのように行動することを言う。
おやじの信じる宗教の信者になることだ。
先日亡くなった、漫画家の中尊寺ゆつこさんが、「おやじギャル」という名言を生み出されたが、女性は若いうちから脳内をおやじ化している場合が多い。
むしろ、若い方がおやじ化率は高いかもしれない。
それはもちろん、教育とかマスメディアがおやじの産物であるので、おやじっぽく考えることに慣らされて大きくなるからだ。
そして、ここが肝心だが、脳内をおやじ化したほうが、実は女性も生きやすい。
例えば、「女は若い方がいい」というテーゼはおやじ好みなのだが、若いうちはこのテーゼにのっていたほうが、女も楽なのだ。
なまじっか、女性の取り扱われ方に疑問をもってしまうと、おやじから嫌われるし、自分自身も苦しむことになる。
と、なにをしつこく書いているのかといえば、文学もその例外ではなかった、ということ。
女流作家などという呼ばれ方をして、もちろん、女性の作家もたくさん生まれてきた。
が、案外、読んでみると、
「おやじが好むであろう女性像になりきって、心情を描いているだけ」だったりする。
それを読んでおやじが、
「そうか、やっぱり、女はこんなことを考えているのだな、ケケ」と喜ぶわけだ。
それはまったくの閉じた輪だ。
どこまでいってもおやじしかいない世界。
決して、おやじを不安にさせたり、おやじの存在を危うくするようなものは残れない。
というか、生まれることすら許されない。
許されなかったんだろうと思う。
ちょっと落ち込み気味なのは、今日、一冊、割と若い女性の小説を読んで、ひどく憂鬱になってしまったからだった。
なんというか、おやじ媚び小説だったから。
いや、そんなのこれまでだってたくさんあったし、ほんとはそっちの方が今でも主流なんだけど、なるべく、読まないように気をつけてきたのに、
仕事の空き時間があり、読んでしまった。
2時間で一冊、ほとんどなんのひっかかりもなく読めた。
なんでこんなに傷付くんだろう。
好きな小説を読むと自分も書きたくなり、
好きな映画を見ると自分も撮りたくなる。
が、いやな小説を読むと、小説なんて書いたって無駄なんじゃないかと思えてくる。
攻撃されたわけでもないのに、とことん傷付いてしまう。
気を取りなおして、「脳内おやじ」を否定できるようなものを書かねばと思う。
思うんだけど・・・。
ベルリンの壁より強固なおやじ包囲網。
でもさ、ベルリンの壁も崩壊し、西武の堤さんも逮捕されたんだ。
昨日、会った友達の第一声が
「堤さん逮捕されたね~。やっぱり正義は勝つんだよね」だった。
信じたい、未来を。