山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自己表現バブル

今は、読みたいひとより、書きたい人の方が多い時代だ。
自費出版の会社は儲かっているようだし、小説書きたいというひとも
増えているそうだ。

音楽にしてもそうなのかも。
今はパソコンがあるから、文章を書くにしても、音楽を作るにしても
ずっと楽にできる。
そういう意味では「つくること」に対する垣根が低くになったようでよいことだと思う。

で、みんながみんな、表現者になるとどうなるのか。
結局、表現するひとのほうが、それを鑑賞するひとより多くなるわけだから
自己表現バブルとなるわけですね。
(すでにそうなってるかな)

で、この先どうなるかを「ほぼ日」で糸井重里さんが書いていて面白かった。
これからは、読んでもらう方がお金を払うようになる、というもの。
すでに自費出版などはこの域に入るわけだけど、趣味で踊りを習っているひとが
発表会に、おみやげつきで招待するのなんかも「見ていただく」ってことになるよね。

それじゃあ、表現するひとは儲からないから、表現を職業にすることができないじゃない、
ということになるが、逆に
表現したものを鑑賞してあげることでお金を貰うという、鑑賞者という仕事ができるのでは、と予測されていた。

本当にそんなことになるかどうかはわからないけど、
逆転現象としては、女性誌なんかも、あまり売れなくても成立するようになってるよね。
広告収入でまかなえるわけだ。すでに読者不在。
本も映画も音楽も、だんだん受け手不在になっていくのかしら。

( 映画もすでにこの現象はあって、「大ヒット」って宣伝してて、劇場行ってみると
 ガラガラだったりする。けど、これはあくまで、前売りが事前に売れている場合のことなのね。前売りを制作者が買って配る。だからカウントされるんだけど、チケットもらっても実際見に行かないひとが多いとこの現象が起こる。そして、誰も見ていないのに大ヒットになる)

しかし、バブルというからには、いつかそれは弾けるのか。
テレビで長く仕事をしていると、この手の「自己表現バブル」の若者に結構出会う。
八ミリビデオで、何らかの作品を撮ったことがあるので、ADのような下積みを嫌うひとがいる。「すぐに監督になりたい」わけ。

けどね、この手のひとたちはたいてい使いものにならなくて、すぐやめていく。
その後、成功したということも滅多にないんだな。

そんなバブリーな世の中でも、知り合いの女子は映画の現場に行きたいと、会社にお休みをもらって、ノーギャラで助監督をやりに行くと言う。
いやあ、いい話だな~と思って。

若くて女の子で才能があったりすると、下積みなんてなるべく飛ばして、いきなり映画撮りたがってもいいような今だけど、彼女はきっちり、勉強したいと言う。
心が洗われた。

前に吉本興行の方も言ってたけど、お笑い芸人も若手バブルになってるって。
ちょっと面白いとすぐにテレビに出られるんだけど、下積みのないひとは結局続かないから
すぐに消えて行くそう。
大切なのは、テレビデビューまでにどれくらい舞台でひとを笑わせてきたかにかかってるって言ってた。

そうでなくっちゃね。
バブルがやがて弾けたように、昨日今日の付け焼き刃では、遠くへは行けないのではないかな。
そう、信じて地道に行こうっと。