山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ブリジット・ジョーンズの日記(3)

映画「ブリジット・ジョーンズの日記/きれそうな私の12か月」について、もう少し。

多分ね、映画として傑作かと問われたら、そんなことはないんだけど、なんていうか、いろいろ言いたい、いろいろ考えさせられてしまうって部分が多いんだよなあ。
だから、今夜も。

映画では今までほとんどテーマにされてこなかったし、笑って描けるほど事態が簡単でもなかったことがていねいに描かれていますってことではないかと。

さて、昨日は、マドンナの辿った結末について書いたけど、さきほど、ホイットニー・ヒューストンが再び、薬物依存改善施設に入院した、というニュースを読んだ。

うう。
ホイットニーは今年41歳。映画「ボディーガード」での熱演も懐しく、最近はあまり噂を聞かないなあと思っていたら、ヤク中として日々を送っていたのね。
夫・ボビーブラウンに殴られたなんてニュースも過去にあったし、男に殴られて、ヤク中になってる、なんて、映画「BJ2」に出てくるタイの刑務所の娼婦たちと変わらないじゃないの。

マイケルジャクソンの例をひくまでもなく、スーパースターの生き方を、私たち庶民といっしょにしちゃうのは、無理があると思うけど、やはり、「なぐられたり、ヤクにはまったり」つう結末は、たとえ、文化の進んだ(進んだっていえるのかな、とりあえず言えるとして)西欧社会ですら、充分起こりうる不幸の典型であるわけだ。

ちょっと気を許すと大きな落とし穴が待っているのね。

マイケルジャクソンだってさ、黒人という意味では、女性と同じで、「白人男性」を基本にした場合、マイナーな存在なんだよね。そのマイナーな存在である者たちが、成功を収めて行くってことは、結局、ものすごく大きななにかを差し出すことではないかと、思ったりしてしまうのだった。

そういう未来を避けるためには、マドンナみたいな賢い選択をすべきなのかしら。
ブリジットがマークを選んだように。

元気をだすために、この映画のサントラ買っちゃった。
落ち込みそうになると、聞いてます。

ロンドンでシングルガールをやるってことは、どこでも生き延びられるってことなの。
そんなふうに、ブリジットは言ってたね。
こういうひとことに、じんと来ちゃったりして。