山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ブリジット・ジョーンズの日記(4)

一日あけて、懲りずに、「ブリジット・ジョーンズの日記/きれそうな私の12か月」について書きたい。

フト、この先、「ブリジット・ジョーンズの日記part3」を撮るとしたら、どうのような展開がよいのか、考えてしまった。
(だって、続編の監督を頼まれるかもしれないじゃない!ハリウッドってものすごく近くなっているんだもの。)

と、勝手な妄想はともかく(でもさ、もはや妄想じゃないんだよな)、私なりの考えうる結末について。

まず、ブリジットとマークは結婚するであろう。マークは有能な弁護士だし、浮気もしないから幸せな日々がまあ、5年くらいは続くのではないか。
ブリジットはそのままTVの仕事を続けるが、なぜか子供はできない。(たぶん)
仕事も結婚もそれなりに幸せなんだけど、満たされぬ日々。

すでに40歳は目前、どうなるのかしら、私の人生、第三ステージってところから、映画は始まる。(初めの10分間で、ざっくり、「今のブリジットの悩みを描く」)
そんな時、かつて、さんざん悩まされた、ブリジットにとってのファムファタール(運命の女)の男版、ダニエル(ヒューグラント)に再会する。

ダニエルはなんと、ひん死の病いにかかっていた。
(エイズか陰茎癌か、病名は一考の必要あり)
で、死ぬ前に君に謝りたかった、とか、いろいろあったけど、人生で一番好きだったのは君だけ、などという甘い言葉をかけられて、フラっときたりするのである。

ダニエルは死を前にして、自伝を書きたいとか、最後のドキュメンタリーを撮りたいとか、ちょっと芸術ココロをゆさぶるような希望について、ブリジットに話すわけである。
ブリジットはもとは編集者で今はTVウーマンである。これらの職種の女性は、「クリエイティブな香り」にとても弱い。(なぜって、わたしがそうだもの、一番よく知っている)

比べて、現在の夫マークは弁護士というとても合理的なお仕事をされている。偉いな、とは思いつつ、「人生ってそんな法律では割り切れないじゃん」という思いももたげてくる。

そんなわけで、ブリジットは、夫に悪いと思いつつ、ダニエルの元に通い、彼の最後の願いをかなえようと奮闘を始めるのであった。

一方、ブリジットにほっておかれた夫・マークにも魔の手が・・。
40歳少し前の有能で成功しているハンサムな弁護士をまわりの女がほっておくわけがない。マークはその気がなくても、小悪魔ちゃんなどにちょっかいを出されたりする。

その頃、ダニエルの病いが嘘であることが発覚する。仕事に失敗、女にも逃げられて確かにひん死ではあったが、ほんとの病気じゃなかったってわけ。
「また、だまされた!」と自らのおめでたさを嘆くブリジットだったが、帰ってみるとすでにマークの隣には可憐な(少なくともブリジットより10歳は若い!)女が寄り添っていたりするのだ。

キャーッ! 恐怖映画より、中年の女には、おそろしい展開である。
ライバルの女は強烈で、ブリジットとマークの仲を裂こうとあの手この手で迫ってくる。
(ここらへんは、恐怖映画的常套句を、コミカルに演出ね)

そして、あらたな新事実が。
本当にダニエルは不治の病いにかかってしまうのだった。
余命半年。最後まで、ブリジットを振り回し続け、好き勝手やるのだが、どうにも憎めない男。ブリジットもかなりこいつが好きだったことを実感する。そして、寝てしまったりする。

時が流れ、ダニエルは死ぬ。ダニエルを見送ったブリジットは、妊娠していることに気づく。どう考えてもダニエルの子供だ。さて、どうしよう。
真っ暗な気持ちで、病院をでたブリジットが見たものは。
それは笑顔のマークだった。
「ふたりでこの子を育てよう」マークに言われて、手に手をとってブリジットは歩き出すのであった。なんてマークっていいひと!めでたし、めでたし。

このようなストーリーを考えてみました。この物語のキーポイントはなんだと思います?
それは、ダニエルの死です。
つまり、ファムファタールは死すべき、ってこと。

ここから話が一気に文学的に傾倒しますが、19世紀生まれた小説に現れたファムファタールちゃんたちは、(美人で悩まし気で、奔放)死すべき運命を背負わされているんです。
つまり、女として使いものにならなくなる前に、死ぬ。

19世紀の文学を例にひくまでもなく、最近ヒットした純愛ものを検証されればわかると思いますが、運命の女は早死になんです。なぜかって?そりゃ、みなさん、もうおわかりですよね。それは狭くは作家の願望であり、広くは、男性一般の夢であるからです。

かわいくって、みだらで、魅力的な少女(今でいう不思議ちゃん?)は、短い間つきあうのは楽しいけど、彼女を一生背負うなんて、実はごめんだ、って思っているんです。
飽きたら、次の不思議ちゃんに出てきてほしい。いつまでも少女は循環してほしいんです。

そういった、ちまたの夢を実現するのが、大衆小説のメインテーマであったりするわけです。でまあ、それをそのままひっくり返してみました。

ハンサムでセクシーでいっしょにいると楽しいけど、どこか信用できない男。
彼等にも、やはり、「立たなくなる前」に消えてほしいわけです。
と、このような物語は、未だ、描かれてこなかったんですねえ。

だって、制作者のおやじは捨てられるおやじの物語なんかに出資するわけないじゃん。

そんなわけで、誰か「ブリジット・ジョーンズの日記part3」、私に撮らせてくれませんか?
劇場を、強気な女たちでいっぱいにしてみせますのに。

(前世紀のおやじは来なくていいから。不思議ちゃん人形でも一生、抱っこしててください)
(一応、断っておきますけど、これはあくまで映画的展開のお話。私自身は、優しいので、きっちりの看病して、悪い奴でも長生きしてくれるように、しますよ、もちろん)