山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ユニクロでもエルメスでもなく。

ファッションとそれにまつわる出来事について。

ここ数年は(十数年は?)ユニクロ的な廉価カジュアルとエルメス的高価ブランドを、同時まとうひとが多かったと思う。
そういう事態はユニクロ的カジュアルの発祥地アメリカでも、エルメスの生まれ故郷フランスでも、ありえない組み合わせだったはず。

ユニクロの服を着るひとは、ブランドもののバッグなど持たないし、エルメスをまとう方は、遊びでユニクロを着ることはあっても、決してメインアイテムにはしない、というのが、お洋服発祥の地、西欧社会でのお約束だった。

それを打ち破ったのが、日本の中産階級のお嬢ちゃんたちだった。(自分もこれに含まれる)私の通っていた中学ではすでにルイヴィトンの傘をさしている同級生がいたけど、当時、まわりの区立中学のコには、あのモノグラムを見分けることのできるひとはいなかった。(○十年前ね)

時は過ぎて、今では自衛隊の女性でもルイヴィトンのバックの一つくらい持っている。

(ここであえて、自衛隊の女性を出すかといえば、ずいぶん前のことだけど、自衛隊の女性のテレビドキュメンタリーが放送され、そのエンデイング曲がユーミンだったんですよ。これについて、ある放送作家が、ユーミンというプチブルの代表歌手の曲が、自衛隊というその極北にいる女性のエンデイングに使われる、というのはひとつの時代の終焉もしくは始まりだと、おっしゃった。私はひざを打ちました。たぶん、その頃から、ブランドものは一気に大衆化していったんだと思うんです。これは十数年前)

前置きが長くなりました。つい。
なにがいいたいかというと、この十数年を覆っていた、ユニクロにエルメスという組み合わせの終焉を感じたからです。長かった、この時代。やっと終わるのね。

そのひとつは、セレクトショップの台頭です。
セレクトショップというのは、その店のオーナーなりバイヤーなりが、お気に入りの商品を並べて売る店のことですね。大きくはバーニーズニューヨーク。小さくても有名なのは、古くはビームスなどでしょうか。

ここのところ、ちょっとすてきなお嬢様たち、どこのブランドのものかわからない服を着ているんですね。「それどこの?」なんて聞くと、本人もブランド名がわからない。まあ、イタリアもんだったり、フランスもんだったりすることはするんですけど、要するに、彼女たちはお気に入りのセレクトショップさんで買ってくるわけです。
(この手のおしゃれセレクトショップの増殖すごいものがあります)

これはまだ、ほんのちょっとの出来事だけど、簡単にいえば、ファッションの成熟化ってことだと思う。つまり、ユニクロやブランドもの、というみんなが知っているから「安心」のファッション(それは、半分くらい制服に近い)から抜け出して、好きなものを選ぶ、という道にたどり着いたひとが増えてきたってこと。

すると、どうなるのかしら。
それはもっと自由になる。自分で決めるのはたいへんだけど、みんなに合わせなくてよいのだから、楽でもある。

こういう「なんでもみんなと一緒」的事態が、もっとどんどん減ってきたらいいと思うのでした。
それでもって、文学などもセレクトショップのような本屋さんができて、少数でも好きなものがちゃんと売られるようであってほしいと願うのでした。
(もちろん、そういう本屋さん今でもすこしあるけど)

(文学のユニクロ化はやはりさびしいと思うのでした)