山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ニューヨークの彼女

ニューヨークに住む、大学時代の友人からメールが届いた。
自分の小説「ベイビーシャワー」を送ったところ、その感想と近況などを書いてくれた。

彼女は、大学卒業後、数年日本の映画関連会社で働いた後、ニューヨークへ行った。80年代の後半の頃で、当時は、バブルも手伝って、日本を出て、ニューヨークやパリ、ロンドンに留学する女性が多かった。
「ニューヨーク恋物語」というテレビドラマのヒットもあり、海外に住んで仕事して、かっこいい生活を送ってみたい、と思った女性は多かったのだ。
しかし、大部分のひとは、ほんの少し英語が上手くなった程度で戻ってきた。「ニューヨーク」という看板に憧れていただけでは、長続きしなかったんだと思う。

けれど、彼女は違った。NY大学で映画を学びなおし、プロの映画の編集者になった。日本で公開されたいくつかの作品にも関わるようになったし、数年前にはマンハッタンに自力でマンションを買うなど着実に自分の場所を作っていった。

もともと裕福な家庭の育ちであるし、学生時代はモデルの勧誘もあったほどの美貌の持ち主だったが、どれにも甘えず、自分の好きな映画の世界に、しかも、アメリカという大舞台を選んだ。よく頑張ったよね、としみじみ言いたくなった。

そんな彼女が、映画界もデジタル化の波がおしよせ、手作業であったはずの、フィルムの編集の状況が変わってきたことで、少し意欲をそがれている、と言う。
「正直、もうわたしはいいかなと思ったりします」とメールにあった。

気持ちはよくわかる。
長く同じ仕事をしていると自分の限界もわかってくるし、時代の流れの強さに驚くこともあるから。
でも。
自分の小説の冒頭にも書いたように、
どんなに編集がデジタル化されても、結局、ひとがものをつくる力は、決して機械にはとって代わられることはないと思う。しかも、長い年月積み重ねて来たキャリアは、ほんのわずかのところで、作品を盛り上げるんだと思う。
思うし、そう、信じたい。

彼女のメールに返事を書きながら、メールを通して、自分に同じことを言っているんだよなあ、としみじみ思った。