山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

人間のクズ

土曜日の夜、人間のクズと名乗るひとから電話があった。
なんのことはない、学生の頃からの友人(男)なのだが、開口一番
「俺って、人間のクズなんだよねえ」で始まった。

あらあら。
もちろん、彼は立派な会社員であり、一家を支えるよき夫であり、よき父親であるんだけど、(真実は知らないけど)、なにかがうまくいっていない、ということであろう。

彼に限らず、私のところへは「うまくいっていないひと」からの連絡が多い。女友達はその最たるもので、ハッピーなときには決して電話してこない。電話が鳴るのは、ふられたり、イタイ目にあった時などと決まっている。

男女どちらの場合も、「結婚します」という電話より、「離婚しようかと思っている」のひとが断然多い。これは、私も離婚経験者であるということもあるけど、要するに、マイナスの感情をぶつけやすいと思われているからだろう。

友人の「人間のクズ」なるひとは続ける。自分がなぜ、クズ足り得るか。そして、なぜ、それを私相手に話すのか。要するに、私も自分と同じくらいの「クズ度」だから、だそうである。

なんとまあ。
私は、いつもできる限り真っ当に生きていこう、自分に正直であろうとしているのに、よくこのような誤解を受ける。もちろん、どのような心持ちであろうと結果が全ての世の中、
チョイ悪と思われても仕方ないこともある。

とまれ。
困った時、悲しい時、もう、だめだと思った時にフト、思い出される、というのと、
おう、絶好調だぜ!というときに思い出されるのと、どっちがハッピーかしら。

どっちもどっちかもしれないけど、どうも、私は、雨に濡れた捨て犬をほっておけないタイプなのである。
血統書付きの高額な犬が無料で手に入ると言われても、そんな犬ならすぐに買い手が見つかるだろうと興味を失い、ヒフ病を煩い、三日三晩なにも食べていない、濡れそぼってカラダをブルブル震わせている老犬に手を差し出してしまうのだ。いずれ、その手を老犬に噛みちぎられるとしても。

そんなわけで、「人間のクズ」氏の詳しいクズ事情はこれから聞くんだけど、それはそれ。
困っていること自体を救えなくても、一緒に飲んで話をして、「しょうがないよねえ」と言い合うだけでよいのかもしれない。

酒場のヒトみたいですね。
ま、いいか。