山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

個性的で才能のあるボク

私は、テレビディレクターだけど、由緒ある(!)日本映画監督協会のメンバーでもある。
でもって、今日は、その会合があって、名だたる映画監督たちと飲みに行った。

面白かったのは、最近の若者について。
監督たちは、映像を教える教育機関(大学だったり、専門学校だったり)の講師をなさっているわけだが、どうやらその生徒たちに異変が起きているらしい。

もちろん、いつの時代も「最近の若者はなっていない」という意見がでるものであるけれども、時代によって、「どのように」なっていないのかがちがっているだろう。例えば、70年代であれば、「最近の若者はなんでも体制批判だ」、80年代は「今の若者は、恋愛のことしか考えてない」などが一般的だったと思うけど、今や、事情は大きく変わっている。

これは出版業界でも同じようだけど、最近のクリエーターを目指す若者に共通するのは、才能に対する根拠なき自信と、苦労や努力を避けたがる傾向と、一方で少しでも批判されるとすぐスネたり、やめてしまうというもの。

親に甘やかされて育ち、ちゃんと怒られたことのないひとびとが、努力や苦労することなく、いきなり「監督」などの地位を得たい、得られるはずと思い込んでいるようだ。
しかし、映画監督というのは、そんなに簡単になれるもんじゃない。なぜなら、才能はもちろんだけど、お金がかかるからそうそう簡単には任せてもらえないのだ。厳しい助監督時代を耐えるか、一発逆転でぴあでグランプリをとるなどの道しかない。でも、それは当然で、そうあるべきだと思う。

年を重ねて思うことは、どんなクリエイティブな仕事も、結局は、繰り返しというか、どれだけ時間と努力を重ねたかに関わってくる。一発あててそれで終わりでいいというならそうだけど、人生は長い。

最近、某芥川賞作家(40代)の方がおっしゃっていたけど、同じ意味で若いひとの書いた小説というのは信用ならないと。なぜなら、若いわりに上手いというのは、結局、誰かのまねがうまいというだけのことで、「作文が上手い」のとレベルは変わらない。というのは、たくさんの読書経験とたくさんの執筆経験とさらに、実体験が合わさってはじめて、そのひと自身の文体が出来上がるからである。

そうだよなあといたく納得したけど、小説はまあ、紙と鉛筆があれば誰でもすぐ書け、最近はネット上で発表もできるから、簡単に手を出せるだけに、錯覚しやすい。

一方、映像はそんなに甘くない。

今日の名言は、「映画はひととつくるものだ」というもの。ひとりの天才では映画はつくれない。ひとに動いてもらわないと、なにも始まらないのだ。この「ひとを動かす」という力は、そうそう簡単に身に付かない。そういう意味では映像業界は厳しいけど、逆に人生を見誤らないですむとも言える。簡単には監督になれないから、中途半端な気持ちのひとはすぐにやめてしまうから。

そんなわけで、今の若者の行く末を心配した(ホントはそんなに心配していない)楽しい夜でした。