山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

お守りは携帯ストラップ



久しぶりに携帯電話を買い替えた。うちは電波状態が悪いので、携帯がかかりにくいのだが、機種の古さもそれに拍車をかけていたので、仕方なく新機種に変えた。

携帯ストラップは、前のまま。くっつけていたのは、ミラノのグッチで買った、ミニチュアバッグのついたもの。(写真左手の黒)携帯が白なんだから、ピンクにすれば良かったと後悔したけど、しかたない。買い物の最中では、黒の方がオトナぽくてヨイと判断したのだから。

と、この話はあくまで前座である。
メインは、もうひとつのアクセサリー。プラスチックのバーになにやらフランス語が記されているでしょう。この携帯ストラップにはいわくがあるのだ。

5年ほど前、大学時代の友人が病いで亡くなった。まだ、人生これからって時だったので、かなりショッキングだった。悲しかった。
友人の葬儀のあと、「形見分け」として、このストラップをいただいた。

が、実は、ずっと机の中にいれたままで、実際には使っていなかった。亡くなってすぐは、インパクトがありすぎて、日常的な場所で使う気持ちになれなかったのだ。

ところ、やはり形見で携帯ストラップをもらった友人から、こんな話を聞いた。
友人が、仕事で、ちょっと感情をたかぶらせ、オトナ気ない行動に出たときのこと。
ふと見ると、足元に携帯ストラップが落ちていたという。めったいにはずれることがないのに、携帯電話器から、それがとれてしまったというのだ。

友人は言った。
「それを見てね、(死んだ)あいつが、おまえ、みっともないことやめろよって警告しているんだって思ったんだよ」
彼は、大人げない行動をとりやめたそうだ。

もちろん、携帯ストラップがはずれたのは、物理的な事情だと思うけれど、それを見て、亡くなった友人を思い出し、反省した、という友人の気持ちはわからなくはなかった。
悪い話じゃなかった。

それで、遅ればせながら、私も形見のストラップをつけることにした。
「お守り」というほどではないかもしれないけど、しょっちゅう、道を踏み外している身からすると、心強い。

彼が生きることのできなかった時間をもう5年も生きてしまった。
自暴自棄になってる場合じゃないよね。
そんな気がして。